不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

春に咲く

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昨日は息子と西東京方面の友人宅に遊びに行きました。

友人夫妻の長女がこの春中学校を卒業して九州の高校に行ってしまうため、彼女が所属している吹奏楽部の演奏会を鑑賞するためでした。

中学校の吹奏楽部と言うなかれ、何を隠そう全国一位に輝くクラブなのです。公立中学校のクラブですが、そこいらの中学校の吹奏楽部とは訳が違います。

前にも鑑賞させていただきましたが、本当にうまい。

今回は日頃お世話になっている地域の方々のためと言うことで体育館で行われました。

友人夫妻との付き合いは、私が20代半ばの頃に働いていた日本語学校の同僚というところから始まったのでもう20年になるでしょうか。東京はもとより名古屋や福岡、オーストラリアでも一緒に働きました。この長女が生まれる前からの付き合いです。

ということでこの家の娘さんたちは我が子のように可愛いこと(笑)。息子しかいないので特にそう思います。

演奏をじっくりと拝見しました。

指揮する方は学校の先生ですが当然ながら普通の音楽の先生ではなく、かなり音楽分野にてキャリアのある方だとか。以前指導されていたのは外部の方で有名な方だったとか。師を探し歩く、師の居所を訪ねる、この課題だけでも十分公案の如く、大変難しい難関ではありますが、自らを鞭打てる人に在っては師とは何か、どこにいるのか、それは自然分かるというものです。そう考えるとこの少年少女たちは大変恵まれているようです。良い師を訪ね歩くのが人生ではありませんが、人生をそれに費やす価値はあります。自分を最大限高めてくれる人を見つけられるかどうかはその人にとって幸運かどうか、人生の大きな分かれ目だと言うことができます。

私は音楽については全くの門外漢ですが、彼らの動きを見ていればどれ程練習を重ねてきたかはよく分かるつもりです。「自分のパートを担っているだけ」「自分がやるべき処だけをやっているだけ」ではなく、大河の流れにあって、一筋の流れ一つの瀬の如く、自らを演じています。そしてひとりひとりの技量も驚くべき程。友人の長女をじっと見てました。彼女は打楽器担当ですが1人休みがいたらしく、演奏中、4.5個の楽器の間を行ったり来たりしつつ、それでいて終始を感じさせぬ自然の流れに溶け込んでいたのには驚きでした。技量そのものも初めて見たときよりも大変素晴らしく。見ているとどうやら自分が奏でていないパートですら頭の中で奏でていて、そこにすっと入り込んでいるようです。

若者たちの(こういう言い方は好かんなぁ・苦笑)熱意というのは本当に素晴らしい。ロシア語の難しさに打ちひしがれている自分に比べて彼らのひたむきな姿勢は何とも神々しいというのか。日本一と言うだけあって目つきも違う。普通の中学生よりは目力が強い。ありきたりのコメントでこれまた好かんですが、若者たちからパワーをもらった気がします。

平成二十七年弥生二十三日

不動庵 碧洲齋