不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

師弟

昨夜の柏中央体育館での稽古は珍しく参加者は私だけでした。

一昨日とその前は大相撲柏場所がようで、まだその後片付けで慌ただしい感じでした。市内にはいくつもの相撲部があるようで、中高生ぐらいでエラく体格がいい若者が荷物を持って出入りしていました。

普通は18時半頃から数人がボチボチやってくるのですが、昨夜は10分前になっても私だけで、着替えて柔道場に入ったところ、偶然にもいつも隣で稽古をしている合気道の稽古もなく、2面もある柔道場で私と先生、二人だけで稽古をしました。

柏中央体育館で二人だけの稽古は長年通っていても初めてで、それはもう静かなものでした。

柏の稽古では一応最年長者です。それだけに日頃人前ではなかなか尋ねられないことや疑問に思っていることは多くありますが、昨晩は色々質疑応答していただけました。

武技の動きについては手順と言うよりは毛氈のごとく、微かな動き、僅かな動きを正確に制するための工夫、最高の効果が得られる動きを最小限度に用いる極意、気の効用と機、宗家との稽古について、体幹の動きについて、仕事について、などなど、多岐に亘って話しながら稽古をしました。

入門したての頃、もう32年も前の話ですが、先生は折をみてはよくマンツーマンの稽古を付けてくれました。その時の先生に較べたら今の私の方が間違いなく技量は上のはずなのですが、どうしてもそう感じられない自分がいます。不思議なものです。当時先生の自宅内にあった小さな工場を改装して作られた30畳程度の道場で、日曜日の午後、外国人たちが集まってくる前や普通の稽古がないときなど、大変良く教えていただきました。当時教えていただいた時は雲を掴むような感覚でしたが、今でははっきり自分のものにできています。多分10年以上は掛かったでしょうか。

以前は先生と組んで稽古しても、なかなかに満足いただける動きはできませんでしたが、今は何度かやるとまずまず及第点の動きに持って行けるようになりました。これは上達したという事でしょうかね。

ただ私は既に48だというのにまだ、先生の前では16歳の小僧のようです。多少、立っている位置が高かったり、世界が広く見えている気がしますが、やはり先生の前ではまだ少年のような感じをいつも持っています。師弟関係はもしかしたらそんなものなのかも知れません。

私は真に偉大と思える何人かの師に師事しています。国内外の同門門外友人らを見ていてもそのたった1人にさえ出逢えない人もいることを考えると、この強運について1日何度も天に感謝を捧げても尽きない程です。

師を持つ人の生き方は分野が違っても尊敬できる人が多い。多分それが人として最も自然な生き方ではなかろうかと思ったりします。学園ドラマ然り、スターウォーズ然り、ドラゴンボール北斗の拳然りです(笑)

我が行く道を知るとも、師の姿が見えないことはままあります。それを想えば師の背が見えたらそれは多分大変な強運だと思います。真っ直ぐにそれを追いかける歓びは何にも増して素晴らしいものです。

平成三十年卯月二十日

不動庵 碧洲齋