不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

ひとつのものに二つの見方

昨日は都内の坐禅会に行ってきました。

臘八の時期、1日100分程度の時間を8日間連続で坐るというのは、始めた頃はなかなかきつかったのですが、ここに到ってまだまだ力がみなぎる感じがするほどになりました。努力の甲斐があったと思うのは早計で、色々分析すれば師匠の力量や周囲に優れた友人が多くいるためだと思います。これは謙遜ではなく、彼らの人物を見れば明白です。また、息子とのやり取りも非常に自分の禅定を深めるのに役立ちました。息子と科学と禅の話をするときはとても楽しい。

帰路、電車に揺られていると2人の若い男女が乗ってきました。男女とも大学生でしょうか、男の方はスポーツとかが得意そうな感じの好青年です。女性は派手ではないけれど、なかなかオシャレでしかも美人に限りなく近い可愛らしい感じ。なかなかお似合いのカップルに、脳内で半分「くそぉ、うらやましいな。」というつぶやきと「若いっていいもんだ、自分の時間を全て輝かせることができるからな」とというつぶやきが暫く交錯しました。こういう中途半端な年齢を早く脱却して早く沖田艦長みたいな歳になりたい(T-T)。

彼らは私のすぐそばで親しげに会話を始めましたが・・・。耳を傾けているとどうやら韓国人の留学生のようです。日曜日でしたから学校ではなかったのでしょうが、もしかしたら語学留学生だったのかも知れません。周囲の人たちも彼らが韓国人であることが分かったようですが、皆、その様子にほほえましく見守っていた人が多かったように思います。

男性の方が先に途中の駅で降りましたが、思わず微笑んでしまうほどに切なく、しかし爽やかでした。何故か最後に彼はお辞儀をしてましたが、お辞儀をする当り、ああ日本と似ているんだなとも思いました。お辞儀なんかするなよ(苦笑)。

彼女さんはすぐにフェイスブックに何か打ち込んでいましたが、その姿も楽しそうでした。私が降りるまでチラチラ失礼にならない程度に見つめていました。なかなか可愛かったな。

韓国は今、反日真っ盛りの気炎にまかれた国家です。

この若いカップルを反日民族のケシカラヌ連中と見なすのか、ほほえましい若いカップルと見なすのか。

彼らが何故わざわざ、対韓感情があまりよろしくない日本まで来て勉強をするのか、と考えるのか、反日の奴らがわざわざ我が国にまできて学ぶとは恥がないのか、と思うのか・・・。

その事態はたった一つです。

彼らが日本に来て、仲むつまじく、学問に励んでいる。そしてたまたま男女ともなかなか美男美女カップルだった。

本来それだけなのはずですが、周囲の人は色々は角度から彼らを見ることができます。

昨日嬉しかったのは、電車内にいたほとんどの人たちが、彼らを温かく見守っていたこと。韓国人だからと目尻を上げていた人は、私が感知した範囲ではいなかったように思います。その場に彼らにケチを付けた人がいたら、彼はきっと、その後思い出す度に冷や汗が出る経験をしたに違いありません(笑)。まだ少々腕が無聊を感じる辺り、武芸者としてはまだまだ未熟(苦笑)。

ま、エラそうに書いてしまいましたが、これは以前師匠が誰かから反日国家との関係について、どうあるべきかという問いに対して答えたものを、私なりにアレンジしたものです。しかしこれは私が実際に感じていることでもあります。

韓国政府や中国政府に妥協してはならないとは思います。ネット上やデモで愚かなことをしている人にも異議を挟みます(これは日本でも同じです)。しかし私は現実の彼ら、実際交流のある彼らを良く知っています。これが私の行動を起こすに当っての、リアルな感覚です。リアルな感覚なしでのコミュニケーションは難しい、そして見誤りやすい。私はそれを恐れます。

ネット上では見るに耐えない言葉で彼らを誹謗中傷しているのを見ます。もちろんあちらの国でもそういう人がたくさんいます。お互い非難合戦で下関海峡が埋まりそうです。日本人としてはもちろん、我が国の主張が正しいと思います。勝手な想像ですが、世界における日本の影響力が大きく減退した後であっても、世界で韓国に耳を傾ける国は少ないように思います。現実に韓国のナショナリズムに辟易している国は多いです。

私たち日本人が目指すべきはそういう彼我を比べる是非、善悪という、レベルの低いものではありません。正しさを無条件で信じてもらえる国家としての品格を持つことです。今でももちろん、先進国の中ではなかなか高いレベルにありますが、次世代やネットで下品なことを言っている連中が押し下げている感があります。非難してもいいのですが(すべきですが)、相手も否定できないようなちゃんと理屈が通ったものにして欲しい。罵って喚いているだけ、8割ぐらいがそんな風に感じます。我が国の品格に泥を塗るが如き愚行はやめてもらいたい。

品格は彼らには関係ありません。何と言われようと自分たちだけがまず身を正すことです。高い品格、雅量、民族としての気高さは下品なものを寄せ付けません。これは本当です。下品なものとがっぷり四つになれば着ているものが汚れるのは自然の摂理です。そういうものを日本人には身に付けて欲しいと思うのです。

何がそうなのか、一番手っ取り早く知るにはなるべくたくさんの外国に、なるべくたくさん行ってみることです。できなかったら都内かどこかで外国人を捕まえて友だちになるのもよい。コンビニで働いている就学生の皆様たちと語らうのもよい。ネットやテレビで彼らの国や我が国で起きている関連ある事件や事故に一喜一憂して品のなさをばらまくなら黙って欲しいと思います。(スミマセン、私も時々チクチク呟いてますが)

私は決して友愛主義者ではないのですが、世界に冠たる日本人があまり賢くもなく、優雅さに欠ける行為が最近目立つので言ってみたくなった次第です。本気で日本人であることを誇りに思うなら、声のデカさとか罵詈雑言の数ではなく、賢さと優雅さで相手を心服せしめるようにしましょう。

平成二十五年師走九日

不動庵 碧洲齋