不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

観よ、外より

16日から24日までニュージーランドとオーストラリアに出張に行って参りました。

仕事でも私用でも国をハシゴしたのは初めてで、結構こたえました。特に今回はどちらもレンタカーを借りて自分で移動したので、それもあったのかも知れません。

もっとも20年前になりますが、私はオーストラリアで働いていたこともあるので運転には困りませんでしたが。ニュージーランドもその時に出張で行ったので、やはり結構運転はしました。

当時もそこそこ英語は使えましたが、ここ10年ぐらいは自分で言うのも何ですが若干深みのあることを話せるようになってきたこともあり、当時とは異なり用事があると時間が許す限りはできるだけ色々な人々と色々な会話をするようになりました。

そこから見えてくるものは「世界の中の日本」です。

もちろん私は日々国内でも多くの外国人と会う機会がありますが、外から見える日本はまた別の一面を見せてくれます。ネット上に散見されるくだらない観念論、極端な主義思想を掲げたり信奉する人たちはきっと、現実的にはもちろん、ネット上でも海外の人たちとじっくり話したことがないのだろうと思います。日本だけではありませんが、実際日本人の熟成度の問題を感じることしばしば。井の中の蛙という点ではある意味隣国の反日国家よりたちが悪いと思うことすらあります。幸いにもその蛙は今のところなかなかの切れ者なので問題ありませんが、外から見えないという点では裸の王様になりかねない、そんな危惧はあります。

日本と日本人がとても優秀であることは紛れもない事実です。この意味は欧米圏での「優秀」とは質的に異なります。「異質的に」違うのかも知れません。彼らが比べられる範囲においてもまず日本が優秀であることは十分に認めています。例えば科学技術や工業力など。ただ日本はそれだけに止まらず、文化的にも欧米とは似ても似つかぬほどに異なっていながら、訪れた人たちに感銘を残さずにはいられない、反日国家の市民たちですら感嘆させてしまう、そういう力を十分に持っていることを弁えてよいと思います。

が、それを殊更礼賛したり強調するのは全くの愚行に他なりません。沈黙の内に素晴らしい文化を継承し驚くべき科学力を保持し世界に浸透させている、そのことが彼らにとって異質なのです。口を開け大声で優性を叫ぶのは日本人の美徳にはありません。実に醜い。しかも私が滑稽極まると思うのは、そういう愚にもつかぬ事を日本語で日本国内で喧伝していることです。そんなに喧伝したかったら外国語で外国の掲示板に投稿してみて下さい、と言いたい。多分「残念な日本人の一例」として速攻広まることでしょう。私も何度か投稿して激論してまあまあ負けはしませんでしたが、日本人として品位は落としてしまったなという後悔は残りました。以後、日本礼賛や日本優性っぽいことは書きません。

日本のやり方は確かにもどかしいくらいに遅く、時間がかかります。それは言葉以上のもの故の宿命かもしれません。でも海外の多くの人たち、政治的に日本が貴覧だと公言してはばからない人たちの心にすら、確実に浸透していっています。現にそういう国からも大勢の観光客が来ています。海外ではアンチ当事国にわざわざ観光に行くなんてことは普通はありません。この事実を無視して要らぬ事を言うは日本の品位を落とすこと他ならない。

ニュージーランドやオーストラリアのホームセンターで販売されている道具類のうち、上位品質のものは大抵が日本製です。少なくとも日本ブランドです。お客さんの多くは疑いなく日本製を使うことを誇りに思っています。

世界の誰に訊いても、日本製より中国製がいいなどと言う人は、多分中国人や韓国人にすらいません。安いから、気軽に購入できるから、やむなく、とか、たまたまそのような理由で日本製ではないものを使っている、ただそれだけです。ネットのニュースではやや違う趣旨のニュースも流れていますが、ニュースソースやテレビ局は「ウケる」ネタを流すのであって「公明正大」なニュースを流しているわけではないのです。こんな事も考えられずにネットのニュースに一喜一憂、一怒一哀しているような薄っぺらな日本人は要らない。

小学6年生の息子がいます。息子はすでに2回の訪露経験がありますが、息子ですらテレビやネットで流しているロシアのニュースと本人の感覚に大きなズレがあることを良く知っています。昔から言われていますが、「百聞は一見に如かず」文字通りです。

旅の合間にレストランや店の店員と話すとき、日本人というとほぼ全員が敬意を払ってくれます。シドニー空港で一度、私を中国人と間違えた外国人旅行者はかなり焦って丁重に謝ってくれました。どのホテルに行っても最高に恭しくしてくれます。今までじろじろと見られたのはニューヨークの場末の安宿に泊まったときぐらいです。その時はしかも防弾ガラス越しでした。

そういう経験があれば、わざわざ日本語で日本人に日本礼賛や歴史がどうのと喧伝する必要は多くはないはず。全然無いとは言いません。私も物心ついたことから戦史には大変興味があり、それで留学したようなものですから。また、外国人との交流も30年になります。日本の素晴らしいところも言わずにいられないことはあります。ただ私の禅の師は「禅仏教を薫香の如く広める」といつも語っていますが、日本の素晴らしさも翻訳した言葉などではなく、五感を以て彼らに感じさせてやりたいと思っています。

昨今、あまりに卑小な視点、狭隘な精神、偏心した心持ちを見かけます。日本人の和の精神はそういうところには決して宿りません。他国を排斥する下品なコメントや日本人として品位に悖る言いぐさを見る度に意気消沈します。たとえば明治の偉人たちはそんなちんけな志ではなかったと想像します。もっと高みを目指し、更に広い世界を見ようとしたはず。日本が実に古く誇らしい国であることと同時に、世界がとても広いことであることを体感できた人たち、それが明治人だったと思っています。

ネットが普及して、結果矮小な日本人の精神が多くなってきたのは喜劇でなければ悲劇ではなかろうかと思います。

経済的に若い世代には貧困がヒタヒタと押し寄せてきています。よく分かります。しかし多少無理をしてでも、できたら海外に一度、観光以上の旅をしてみて下さい。それができないなら、ネットではなく直に外国人と頻繁に会ってみて下さい。今日本は紛れもなく観光大国でもあります。外国の人はどこにでもいます。日本に憧れ訪れている若い世代の中国人や韓国人に憤慨できますか?怒れますか?そういう状況を単純に回避して、安逸にネットで犬も食わぬようなくだらないことを言ってませんか?日本に来ている外国人観光客たちの羨望や憧憬、敬意のまなざしをしっかり見たことがありますか?そして日本の歴史や文化がどう感じたのか、尋ねたことはありますか?

100年か200年後、或いは日本は経済大国ではないかも知れません。経済大国というステータスは浮気性ですから、ここ1000年の間でも移動したり分かれたりしています。問題は物質的に豊かであることに対して敬意を持たれることではありません。経済力が去ってなお、敬意を持たずにはいられない国にする、私が外国人同門や外国人の友人たちにいつも心掛け、心を砕いているのはほぼこの一点に尽きます。高度な科学力や工業力、経済力如きは鎧の外面です。あればそれに越したことはありませんが、武具を脱ぎ捨てなお、人々が頭を垂らさずにはいられない、そういう国であることをいつも願い行動しています。

薫香の如く我が国を冠する和を広く世に知らしめ、たとえ滅ぶことあろうとも高貴な民族の1人として、死ぬまで畏敬の念を持たれるほどの品格を保ち続けたい・・・と、出張の間、思ったのでした。

シドニーの公園にて

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平成二十七年皐月二十五日

不動庵 碧洲齋