不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

平成二十五年卯月三日 稽古所感

昨日は指南している道場の稽古がありました。

あいにく公共施設なので毎週というわけにも行かず、何時もながら少数ではあります。

ここ最近はほとんど門下生が二人来ているだけです。

戦国時代ならいざ知らず、日本開闢以来、今のところもっとも平和で豊かな時代であるため、武芸を血眼でやる必然性は全くないと言ってもいいかも知れません。

これからどんなに世界が荒れても、北斗の拳ばりの世界はやってこないと想像します(苦笑)。

また学校の部活動でもなく、大会で勝つ必要もないので、その辺り門下生達の優先度、重要度を尊重したいところです。

個人的には「継続は力なり」の如く、継続した稽古の中で何かを見出したりする事こそが尊いのではないかと思います。そういう意味では技がうまい下手というのはその昔よりは重要度が下がってきているのは事実かと思います。逆説的ですが、それ故に古の技術を落としてはならないというのが武芸者達の想いでもあるのですが・・・。

甲殻機動隊」で使われた言葉「stand alone complex」訳すとなんて言うんでしょうか、稽古や修行は集団でやってこそいますが、そういうものではないかと思います。他人が来る来ないを心配する閑があったら、自分の稽古に集中する(ま、指導する立場の人は多少違いますが)のが道理だと思っています。

当道場は稽古回数が少ないのが悩みの種なのですが、悩んでも仕方なし。

昨日は微妙の動きを集中的に稽古しました。

近年ではデスクワークが増え、身体を張った動きが日常から激減しています。

故にたまに他人を観察していると身体の動かし方が非常にまずい人が多々います。

疲れやすい、故障が多いのはそのためかと。

微妙の動きは昔の人であれば無意識にできたであろう事を、我々現代人はとうとうお金を払って汗水流してやらねば体得できなくなってきてしまっています、悲しい事に。

先日のお茶会でも観ていましたが、雑な動きというのは日本人のセンスに合いません。私が勝手に決めている事ですが。無音、最小限の動きで優雅さや気品を出す。人間の潜在能力を引き出す行為だと思います。センチ単位、ミリ単位で動く。これがカチッと無意識にできると、随分違って見えてきます。そういう方の動きは非常に優美です。

武芸的には微妙の動きは恐ろしいもので、鼻息粗い相手はもとより、比較的冷静な相手にすら気付かせずに優位に立てる必殺技でもあります。気付かないか気付いたときには遅い、これが微妙の動きになります。そしてコイツは畳の上の稽古だけでは決して身につかない。嬉しい事にブルースリーばりのスピードとパワーには年齢制限が厳しくあり、維持するためには厳しい鍛錬を必要としますが、微妙の動きは同じく稽古を継続する必要はありますが、棺桶に入る直前まで可能という利点があります。ただ困った事にこれは別段奥義や秘伝ではありませんが、文字で書くのがとても難しい。故に技術的、精神的なものの融合した集大成のような気がします。もちろん、技術が未熟では話になりませんが。

人様に教えるという事に関しては私も未熟者です。今だからどうにかやってますが、うちの師匠のように人数が10数人とかそれ以上になったらお手上げです。恥ずかしながら。その辺り、もっとよく研究せねばならないと自戒しています。

以上、昨日の稽古の所感でした。

平成二十五年卯月四日

不動庵 碧洲齋