昨日は珍しく他流の武友を呼んでの稽古になりました。
女流剣士?(ん~なんかクイーン・エメラルダスみたい)
某流で10年ぐらい修練している方です。
小柄ながら非常に身体の捌き方がよいので、私でもうかうかしていると畳にたたきつけられそうです。
古流をしているせいなのかどうか分かりませんが、予備動作が少ないので動きが非常に滑らかで安定しています。
マッチョ系の門弟とバランス崩しというトレーニングをさせると五分五分、質量差からすると驚異的です。
(オイ!オマエのセンコーは誰じゃ!と叫びたくなりました、あ、私ですね。まだまだ指南の技量が足りませぬ)
技の稽古、やっぱりうまいです。
上記の門弟と稽古させるとその技量差は一目瞭然。
やはり筋肉による所作は分かりやすく躱されやすいものです。
もう1人、不動庵道場初期の頃からの弟子の方は最近、なかなか稽古に来られないのですが、さすがに動きは少し言うだけで正しい動きになります。
時折他流の門人を加えて稽古をすると、マズい部分がたくさん出てきます。
まあ、これがよくて時折呼ぶのですが。
もちろんその逆もあります。
門内ではものすごく当たり前に行われていることが、他流では驚異的なものだったりなんていうのも結構あります。
このような交流は楽しいものです。
帰路、永らく貸していた「不動智神妙録」を返して頂きました。
「不動智神妙録」はかの禅僧沢庵が柳生宗矩に贈った書物であり、禅僧が記した武芸書という意味で異色の武芸書です。
前回も電車の中で読んでいた折、道場設立時に黄檗宗の住職に揮毫して頂いた道場看板があるのですが、その裏に添え書きして頂いた禅語「一念無限」に悟るものを感じました。
悟ったなどと書くと本物の禅僧に叱られそうですが、脳みそ以外の部分で理解できた感覚が悟りなら、多分あれは悟りに近いものだったと思っています。
その時は電車内で思わず「アッ!」と叫んで恥ずかしい思いをしました。
ちなみにそれが道場名を「不動庵」に改号したきっかけでした。
最後にこれを読んだのは3年前です。
その間、自分なりにまずまず坐ったり禅行に徹したりしてきましたが・・・
そして昨夜の帰路、何気に紐解いてみると・・・
もうビックリ玉手箱。書いてあることがものすごくよく理解できるのです。
言葉ではうまく言えないのですが、体感的に書いてあることがよく分かるのです。
逆に今まで自分は何を読んできたんだろうという感じです。
それはもう久々に嬉しい気持ちでした。
門下生諸君!もっともっと精進しませう!
SD110623 碧洲齋