不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

稽古に想う事是れあり

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昨日は祝日と言うことで、いつもは行けない稽古に出ました。

師匠以下、門下生12名、うち日本人の直弟子は2名。

もう1人は米国人の直弟子で、残り9人は来日中の出稽古です。

稽古では色々なことが分かります。

一挙手一投足でその人の人となりがほとんど分かってしまうことあります。

武技のくせも分かってしまうこともあります。

その人の技量の良し悪しもすぐに分かります。

もっとももっと長くやっていると、稽古が始めるまでの挙動や動きでほとんど分かってしまうこともあります。

昨日稽古した門下生の中に、北欧から来た15段の師範がいました。

白ヒゲを蓄えた感じのいい人でした。

正直に言うと、技量はそれほど高いとは思えませんでした。

多分、もしかすると当流における在籍期間は私の方が長かったのかも知れません。

ただ私よりも段位が高く、年齢も上なので、失礼のないように真摯にアドバイスを聞いていたつもりでした。

稽古の途中一度だけ、その方がぼそっと「私はあなたの友達ですよ」というつぶやきを耳にしてハッとさせられました。

多分、私の態度に見え隠れする高慢さ、自信が見え隠れしていたのを感じたのでしょう。

久々に稽古で冷や汗をかきました。

稽古の後に久々に会った海外同門たちと語りふと道場の玄関を見ると、先ほどの老師範が黙々と玄関先を箒で掃いていました。

私はすっ飛んでいって玄関の靴を上げ、掃きやすいようにしました。

彼はにっこり笑って「助かります」と言いました。

久々に爽やかな敗北感を味わいました。

最近は自覚せず稽古相手を技量で見定めることがあったのでしょう。

日頃から随分とエラそうなことを放言していた割には全く情けない。

今以上に慎まねばならないと思いました。

武芸者ですから技量の精進は重要です。

しかしいくら技量が高くとも、知識があろうとも、それらは道を行く上では杖でしかなく。

杖を見て人を判断していた自分の愚かさに赤面するばかり。

この歳になっても全く至らぬ事ばかりです。

昨日は久々に何か得るものが大きかった稽古でした。

人はただ

慎み深く

思慮深く

為す事に皆

誠あれかし

平成二十八年長月二十日

不動庵 碧洲齋