不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

平成二十五年卯月五日 稽古所感

昨日は柏市で私が所属する道場の稽古に行きました。

ここ最近、私は指南する際は「持久力」に注意しています。

門下生たちからはよく「地獄コース」とか「虎の穴コース」などと冗談で呼ばれてます。

昨日は師から特に命を受けて、入門してまだ1.2ヶ月ぐらいの青年とずっと組んで教えていました。

稽古中の技の動きは緩やかだし、激しい動きもないはずですが、私と組む相手は真綿で首が絞められるように徐々に身体に効いてきます。1時間も過ぎると彼の足腰がふらついてきて、息が荒くなりました。私の方はペースそのまま、足運びも呼吸も分からないぐらい静かです。外国人と組んだときなどは、息遣いが聞こえないのが怖いと言われたことがありますが、息遣いや足音などは相手に手の内を見せるようなもの。相手にどれだけ情報を与えないかが戦いのポイントになります。もちろん、それは道場内の稽古だけでは決して成し得ませんが。

教える相手を徹底的に疲れさせると、余計な力が抜けます。要らぬところに力を入れられないほどにクタクタにさせます。結果、身体は最小限の動きで最大限の効果を生むべく、本能的に動くようになり、稽古が終わる直前辺りにはなかなかの動きに仕上がるわけです。ま、私の相手をした方には少々大変だったかも知れませんが。

武術で使う筋肉はジムで鍛える筋肉とは違う部分がかなりあります。実際、マッチョでも武術の稽古を初めてした後は筋肉痛になります。それと注意しなければならないのは、見せる筋肉を鍛えることは実戦においてリスクがあります。筋肉の動きで相手に察せられてしまうからです。現実に私の場合、マッチョ系の方ほど簡単に動きが見えることが多くあります。武術ではインナーマッスルを始め、通常とは違う筋肉を使うことが要かと思います。

そしてそういう筋肉は日頃から自身で工夫をして鍛えねばなりません。よく、道場に来て一生懸命に取り組んで汗をかいている人がいます。少々意地の悪い言い方をすると、そういう人たちは「やった気になった症候群」と呼んでいます。毎日稽古ができるような贅沢な環境下にいる人は別として、週に2回とか3回しか稽古ができない場合、畳の上で一生懸命汗を流しただけでは全然意味がありません。道場の稽古は日常の稽古を集大成して調整する場、総合練習のようなものです。故に道場稽古を見ていると、日頃から独り稽古を意識している人とそうでない人の動きの差がハッキリ見て取れます。

疲れても喜んで付いてこさせる、これが上級者の腕の見せ所です。

フラフラになってなお、必死にさせる、止めたくないと思わせるリードの仕方が重要です。

簡単に言うとまずは褒めます(笑)。まあどんな下手な人でも、少しはマシというか褒められるべき点はあるものです。それがないと断言するなら指導者としては失格。目が悪いと言わざるを得ません。自分の長所を極限まで伸ばし、余力があれば自分の短所を可能な限り減少させ、長所でカバーする。故に後進の長所を早くから見定めて伸ばしてやることが肝要です。知り合いなどにもいつもケチやグチ、文句ばかり言う人がいますが、そういう人は人を伸ばすのは難しいでしょうな。ギリギリのところで最大限に褒める。注意は刺身の薬味のように添える。だから付いてきてくれるのです(多分・・・)

正直、今を以ても無心に自分だけの稽古に専念したい誘惑は断ちがたいものがありますが、師の私に対する接し方が変わってきた故を無碍にするわけにもいかず、私の修行の意義も少し修正していかねばならぬとため息交じりに感じる今日この頃です。

平成二十五年卯月五日

不動庵 碧洲齋