不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

今日は何の日?

1313年前の今日は法相宗・道昭の命日です。道昭は日本で初めて火葬に付された人だそうです。道昭は玄奘三蔵(厳密には玄奘三蔵の弟子の一人、慈恩大師基)が開いた法相宗の僧侶で、遣唐使にて唐に渡り、玄奘三蔵の直弟子として約7年間、経論を学んだそうです。

この頃の中国は現在と違って文句なしに偉大な帝国で、命がけで学びに行くに十分価値のある国家でした。インターネットで文字面だけは恐れおののくほど簡単に手に入ることができる反面、それが意味するところの真理や真実から現代人は遠くなってきているように感じるのは私だけでしょうか。命を賭けた学問だからこそ、血の通った学問になる、そんな気がします。

帰国後、道昭は法相宗を広めました。現在、奈良県にある興福寺薬師寺の2寺がその法相宗になります。

道昭は玄奘三蔵に非常に目をかけられたらしく、続日本紀に二人の会話が記録されています。

「私が昔、西域に旅した時、道中飢えに苦しんだが、食を乞う所もなかった。突然一人の僧が現れ、手に持っていた梨の実を私に与えて食べさせてくれた。私はその梨を食べてから気力が日々健やかになった。今お前こそはあの時の梨を与えてくれた法師と同様である」

玄奘三蔵が言うところの僧侶から手渡された梨が一体何を意味するのか、興味のあるところです。

「経論は奥深く微妙で、究めつくすことは難しい。それよりお前は禅を学んで、東の国の日本に広めるのがよかろう」

玄奘三蔵が理論より実践に重きを置いた辺り、興味深く感じます。わざわざ遥か遠く、天竺まで行き、多くの経典を持ち帰ってきて翻訳した玄奘三蔵ですが、その持ち帰ってきて翻訳した内容よりも、実際に行って翻訳したという作業に重きを置いているようにも思います。

恐るべきはその後、中国から学んだ禅は日本から世界に発信されているというところ。日本の禅宗仏教は玄奘三蔵の意を確かに受け継いでいます。

そう考えると、脈々と受け継がれてきた仏の教えも遥か天竺から東の果ての日本まで繋がり、尊く感じる次第です。

平成二十五年卯月三日

不動庵 碧洲齋