不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

稽古所感 130418

昨夜は珍しく弟子が4人も来て稽古をしました。通常は1、2名であることを考えると大人数です。

良く来る弟子が2名と、数ヶ月ぶりとか半年ぶりぐらいの弟子が2名。

後者の方が古いのですが、比べてみてなかなか興味深いと感じたことが幾つか。

長いこと休んでいるとやはり動きが固くなります。特に上半身。

最後に入門した弟子も確かに固いには違いないのですが、稽古に参加しなかった方はある意味ガチガチになっていました。

ま、実はしばらく稽古に出なくてもガチガチにならず、比較的動きの精度を落とさない方法もあるのですがこれは教えません(笑)。

独り稽古をしている人はそれなりにあまり落ち方は酷くはないのですが、独り稽古の場合は常に創意工夫を怠ると、単なる機械的な繰り返しになってしまうので、逆に酷い動きになることもあります。

武芸に限らず、基本的に習い事は稽古に参加してなんぼのものです。

粘り強く稽古に付いて来る人は基本的に悩みます。

稽古をする毎にスイスイ上達する人も希にはいますが、大抵は稽古の割には伸びないと悩みます。

人によってタイプが違いますが、私の場合は一旦ガンと上がると、数年はそのまま、そしてまたガンと上がるタイプです。

ともあれ私もなかなかその「ガン」がこないで「俺ももうダメか」と行き止まりになったような時期が何度かありました。

これがない人は逆にロクな稽古をしていないと言えます。

その行き止まりに遭ったとき、放棄せずに粘り強く継続すると、公案の無門関の如く、行き止まりが消失します。

これは知識だけでも、道場稽古だけでも解消できません。

確かになくなるものだとしか言えません。

継続は力なりといわれますが、技術的な事よりも精神的な事に関して言えばそれは真理だと思います。

細くても何でも続けてきたからこそ何かが残るというものです。

技術に関しては継続する、粘り強くやる以上の事も求められますが、それはそれで粘り強さがあっての事。

たとえ数年先を行っていた先輩でも、道場内外での精進がなかったら、割に簡単に抜かれる事もあります。

今回、久しぶりに稽古に来ていた古参たちにも焦りの色がなきにしもあらず。

黒帯や段位は所有者の庇護にあらず、自らが帯の色、紙面の数字を庇護せねばなりません。

さてさて、久しぶりの稽古でそれを痛感できたか否か。

私も物理的に道場に行けなかった事がトータルで7年程度ありましたが、その間、試行錯誤して自分だけの独り稽古を編み出したりもしました。

もちろんそれは先輩や先生から学んだ事を色々工夫したものもあります。

そういったたゆまぬ工夫でかなりの穴埋めができたように思います。

同じ事をしていたら量が多い方が勝ちです。

だから工夫が必要なのです。

武の道はこれからも続きます。

平成二十五年卯月十八日

不動庵 碧洲齋