不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

独り稽古

個人的に独り稽古という時間は、極めて重要だと思っています。

一人ではできない稽古は道場ですべきですが、逆に一人の時しかしたくない稽古もあるためです。他人に見せたくない必殺の動きとか、他人にはあまり意味がなさそうな、もしくは理解できなさそうな微妙の動き、そういうことを独り稽古の時にします。

当流に入門してから今まで、海外や地方に行っていて継続的に道場に通うことができない時期が通算で7年ちょっとありました。この間、独り稽古の方法を編み出したりしましたが、これは今でも私にとってかけがえのない財産になっています。数をこなすという壁を打ち破る方策がこのときに出来上がったと思います。

昨日は珍しく誰も来なかったので、18時半頃から一人で稽古しました。

いつもより念入りに柔軟運動をしてから幾つかの動き、ある種の突き幾つか、型を幾つかと受身を幾つか、これを何度か繰り返しただけですが、気付くと20時。その間、ブツブツと独り言を呟いたり、一旦そこから離れるためにmixiにコメントしたり。

センチ以下の動き、顕在意識と潜在意識の境目の動き、自然の動き、体幹からの動き、虚実の動き、そういうことを考えながら稽古をしました。この種の稽古はあまり他人にはお見せできません。何しているのか意味不明か、ひどくつまらないか、そうでなかったら私だけの必殺の動きだからです(笑)。いえ、単に未完成なのを見せたくないだけです。

学歴社会ではないけれど、今少し若い内にもうちょいやっておけばとはたまに思います(苦笑)。結婚してなければもうちょっと時間が取れるのに、とも思います。が今の状況下で最大限のことをするのが本来の武芸者、辛いところですがタラ、レバ、カモは禁物です。

稽古は数をこなせばよいと言うものではありません。個人的には質の高さだと思います。がその結果が数に繋がるのだとも思います。要は頭から数頼みではイカンと言うことで。また、稽古の意識を道場だけなのか、日常あらゆるシーンで意識するのかによっても変わってきます。習慣になるとさほど難しい事ではありませんが、逆に慣れになっていないか、固定観念、先入観というフィルターがこびりついていないかなど、常にチェックする必要はあります。

多分、歳が上がると、チェックの稽古が肝要になってくるのではないかと思います。

平成二十五年水無月二十七日

不動庵 碧洲齋