不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

たそがれ清兵衛

先日、自宅療養中に「たそがれ清兵衛」を観ました。

私は所有しているDVDは少ないのですが、その数少ない所有物です。

この藤沢周平作品はどれも浅からぬ感銘を受けます。

そして何度も観たくなるような作品ばかりです。

私はどの作品も好きですが、「たそがれ清兵衛」と「隠し剣 鬼の爪」がとても好きです。

現実問題として、幕末になると侍は金策に追われ、剣術どうのというものではありませんでした。私は江戸時代の経済について幾つか書物を読んで驚いたのですが、例えば幕末の50石は現在の貨幣価値にすると概ね500万円だったそうです。実際には藩財政がきついと借り上げなどと言って、減らされます。50石は清兵衛と同じですが、清兵衛ですら使用人を雇わねばなりません。これはなかなか厳しい財政と言わねばならないでしょう。江戸初期では同じ50石でもまずまず潤っていました。普通に生活して、侍として格式ある生活ができたようです。何が変わったのかと言えば、市場価格が上がっていくのに対して、侍の給料が300年間上がらなかったというところにあります。今ほど急激に高くはなりませんでしたが、それでも300年で物価はかなり変わります。途中、色々経済改革は行われましたが、基本物価というものは高くなっていくものです。こうして徐々に侍たちはビンボーになっていったのでした・・・。

幕末になると、普通に働いていた侍たちは使いもしない腰の重いモノをどう使うかより、日々の生活の維持の方が遥かに重要で、武芸どうのと言えたのは多分、暮らしがそれなりに安定している侍が大半だったと想像します。有名な侍の中にはビンボーなのに武芸に励み、やがて幕末の動乱でうまく立ち回り、みごとエラくなれた、何て言う者もいますが、それはとても珍しいケースで、世間に影響を与えたからであって、9割ぐらいの侍は剣術よりも算術や処世術だったと思います。ま、ひいき目に見て、若い頃は少しは稽古した人もいたのかも知れません。幕末の経済状況を見ると、清兵衛のように刀を売った侍も多かったと思います。確かに本当に使う機会は一生に一度あるかないかですからね。

個人的には清兵衛の生き方に強い共感を覚えます。

武芸に於いては一流であっても、家族とのささやかな暮らしを選ぶ。

廃退的と思う人はそう思うかも知れませんが、これありきの人です。

家族持ちにとっては武芸ありきの人生ではないと思っています。

我が身、我が栄達を望めば道は異なりますが、確実に我が身はこの世から亡くなります。

ピラミッドや古墳みたいな墳墓を築いてもせいぜい5000年もしたら誰が誰だか分からなくなります。

人は個にしてそういうものを残すようには出来てないのではないかと思うのです。

それが私が子供に対して出来るだけ可能性を見出して、我が人生の奥義を遺憾なく注ぎ込む理由の一つです。

武芸も無論、自分の道というか生き様を確かめる上で無くてはならぬものですが、日々の生活に比べたらなくても十分やっていけます。これは熱意が冷めたとかではなく、次の世代を世に送り出すという、人類が何十万年も行ってきた普通の行為に誠実に付き合っているだけと言えるかもしれません。

その上、美人で優しく家事万能、貧乏平気の後妻が来たら、もう私なら武芸や禅などは擲ってしまいかねません。冗談に聞こえたらスミマセン、75パーセントぐらいは本気です。要は武芸や禅は今の生活、今の生き様に対して相対的に必要なのであって、武芸に運命だとか宿命だとかあまり思っていないのは事実です。(そのうち意見が変わるかも知れませんけど)単なる偶然のいたずら、程度です。我が武芸の道は宿命だ、とか運命的出会いだ、なんて思っている方はアニメとか映画の見過ぎです。武芸はおもしろいから続いているという辺りが一番まともです。私はこれあるから続いているようなものです。

侍という階級は江戸末期でも日本全国では8パーセントに満たない割合でした。しかし今現在、武士道というものは国内はもとより、世界でも相当敬意の払われた、広く知られている日本の哲学であることは疑いありません。それは明治期、徴兵制度が始まり、新兵教育に活用された思想が武士道だったからです。ちなみに軍隊生活の規範は禅僧の生活でした。何とも日本の軍隊は窮屈なものです。軍隊を介して武士道が広まり、戦後ではその精神性の高さから、軍隊とは関係のない一般市民にまで広まりました。武士道は元々ごくごく一部の人たちの思想でしたが、今は日本人みんなの思想と言ってもいいでしょう。

世界の多くの人たちも、今の日本人が武士道を継承している人たちだと思うからこその敬意でもあります。経済や科学力になびく人もいますが、それに左右されぬ尊敬を世界中から勝ち取りたいと思います。

時代が変わり、日本や世界の中心がどこに変わっても、人は家族を持ってそれを守らねばならないことを考えると、「たそがれ清兵衛」の生き方はとても魅力のあるものだと思うのです。

平成二十五年弥生二十九日

不動庵 碧洲齋