不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

武士のマネ・両班のマネ(1)

日本には江戸時代まで階級制度があり、その頂点に立っていたのが武士でした。

人口比率で言うとどんなに多く見積もってもせいぜい10%少々だったそうです。

これは経済的に見て当たり前で、産業に従事しない人が総人口の2割になると国が破綻するという論もあるそうです。

普通、日本人だったら「で?」と言われそうですが、世界的に見て、刀を差した為政者が平和理に治世を長いことしたなんて言う例はあまりないのです。

当然ながら、先進国と言わず、中堅国でもそれは日本だけです。

武士なればこそ文武両道、などという発想をしているのは多分、日本人だけです。

ちょっと日本文化をかじったことがあるような外国人なら侍を「Samurai」と敢て訳しませんが、知らない人は「Warrior」と訳します。

語源はアングロノルマン語「werreior,戦争をする人」だそうです。

ところが日本では武士≠戦士です。武士の戦士としての任務はごくごく一部に過ぎません。

日本人だったら当たり前すぎるこの理屈も、何も知らない外国人、悪意を以て観ている外国人たちからすれば、「刀を差した為政者が頂点に立つ故に、日本は軍事国家」なんて言われます。

刀を差した人間が平和理に治世をするなんて事はまずあり得ないのです。

普通は洋の東西を問わず、大体文官武官がきちっと分かれていて、それぞれがそれぞれの任務をこなしていました。

中国や朝鮮では「文武百官」といって、皇帝の玉座の右側に文官、左側に武官が配置されていました。

真面目に考えると笑ってしまいそうですが、今に至っても日本には数多くの武芸流派が存在します。

剣術も然り。

剣術をしている方には大変失礼ですが、これから先、刀で人を切るようなことが戦場で発生するとは恐らく無いでしょう。

でもその技術はきちっと伝承されていて、しかも国内外を問わず、とても敬意が払われています。何故でしょう?

江戸時代から明治時代に遷り、基本的には階級制度がなくなりました。

そして、外国に対抗するために徴兵制度を布き、国民皆兵としました。

西洋軍事技術を吸収しました。

映画「隠し剣 鬼の爪」では幕末の武士たちがどのように西洋軍事技術を学んでいたか、なかなかリアルに描かれています。

その過程で問題がありました。

兵士たちの理念、生活基準をどのようにすべきか、明治初期の軍人たちは悩みました。

さすがにこれは大砲を輸入して使いこなせるようにするのとは訳が違います。

西洋人のものの考え方、ライフスタイルまでマネはできませんでした。

そこで着目したのが・・・

理念:武士

生活:禅(経費削減にはもってこいですね!)

でした。

要するに平民兵士たちに、侍の立ち居振る舞いをさせるようになったのです。

侍は大方、江戸時代でも平民から尊敬されていましたし、やはり戦争に関してはプロです(技術的なことは別として)。

まあ、福沢諭吉みたいに武士が嫌いで仕方なかった人もいたようですが、兵隊たちの中には仮想侍になれるというのですから、喜んだ人もきっといたはずです。

多分、今、私たちが「侍から学ぶ何とか~」などという本をありがたく読んだりするのは、この明治の風潮からといってよいでしょう。

現代を俯瞰してみますと、国内で「侍」という言葉は少なくとも敬意を持たれていますし、侍のような行動は立派とされています。(まあ腹切りはやらない方が良いですが)

海外では「Samurai」という言葉は寿司ぐらいによく知られていますし、武道をたしなむ人であれば必ず知っていて、しかもやはり日本人と同じく敬意を持たれます。

手元に電子辞書があります。

英和・和英・英英など、大小取り混ぜて7種類の辞書が入っています。

どれにも「samurai」の記載があります。

どのネット辞書にも「samurai」の記載は出てきます。

その程度には有名と言うことでしょうか。

ちなみに西洋で一番近い概念は騎士、knightですが、こちらは爵位としては残ってはいますが、技術的なものはほとんど死滅してしまっています。

侍とは逆ですね。

ハリウッド映画で見ている中世ヨーロッパの騎士たちの戦闘描写は実はほとんどが想像です。(日本の時代劇の剣捌きも全然本当でないものも多いですけど)

西洋騎士の剣術道場というモノはもう、世界のどこを探してもありません。(再興した人はいるようですが、代々受け継いだモノではないようです)

現代の日本では軍人のみならず、老若男女を問わず、侍の精神や技術を習得すべく、本を読んだり道場に通う人がかなりいます。

多分、侍という偶像はそうするに値するものだと、日本人や多くの外国人が感じているのでしょう。

SD110802 碧洲齋