不動庵 碧眼録

日々想うままに徒然と綴っております。

武道とは

・・・という大上段に構えた問いはあまり好きではありません(笑) 私は武門の末席を少し汚している程度の未熟者なので、難しい事は分かりません。ただ歴史的事実からほんの少しばかり再確認していきたいところです。
 
「武道」という単語は実は新しくて明治に入ってから造語されたようです。それ以前は武術とか武芸とか、そんな感じでした。理由は簡単で、明治時代になって各藩に依存していた武士による軍事力は解体され、国家としての市民による制式軍事組織は「軍隊」として統合、再編成され、手本が欧米の近代的な軍隊に定められたからです。
 
そもそも武術が軍事的に集中運用されていた戦国時代は明治の世から数えても250年も昔のこと、江戸末期の人であればヒイヒイおじいさんですら戦を知らない状況でした。つまり江戸時代、初期を除いて全員が「軍隊としての実戦経験者は皆無」でした。時代劇でもせいぜい毎週悪人が捕縛される程度で、諸外国からの侵略はもちろんのこと、戦国時代のような世の乱れもなく、幕府に不満を持つ外様の藩ですら忍従して平和を保っていたという、日本史でも希有な時代でした。幕末になって新政府軍と幕府軍が対峙しましたが、それはもう戦国時代の戦い方ではなくて大小の火器を集中投入し、刀剣を持った兵士が斬り込むという、前近代的な戦術になってしまっています。新撰組のような剣術のプロ集団ですらライフル銃を持った農民兵の前には散々でした。
 
つまり事実上、武芸というものは江戸時代にはすでに本来の目的であった軍事における用法は完全に廃れ、武士の嗜みになってしまったこと。それ故に個人技としての武技がかなり研鑽されて、多くの流派が作られました。そこにきて幕末を経て明治時代になるとその事実を追認するかのように公式に使わないという流れになったと言えます。
 
当時の武芸者たちは相当悩み、苦しんだようです。いかにして継承してきた武芸の流儀を守るべきか。そこで、書道や茶道、華道に倣って「武道」と名をあらためましたが、明治時代からあとは茶道や華道と斉しく、完全に個人の趣味になりました。もちろん軍隊や警察では一部継承されましたが、基本的には市井の道場で稽古されて、お金と時間と興味がある人であれば誰でもできる世の中になったと言うことです。しかし逆に言えばこれも良いことで、誰もが憧れていた、当時の人口比で6パーセント程度しかいなかったサムライになる事ができました。実際にその哲学は良くも悪くも社会の各所で用いられ、モラル向上の一助にはなったと思います。また、それは軍隊にも利用されました。それで軍隊の生活規範は禅宗ですから戦前の軍隊にて勤務した将兵の皆様には本当にお気の毒でした。
 
幕末維新や先の大戦の大敗を経ても今なお武道は結構隆盛で、今では海外にまで広まっていて外国人武芸者は大変多くなっています。日本の武道というのはそれだけ魅力的なのだと想うと嬉しくなります。
 
私の師匠の受け売りですが、学んでいる武道を社会にて活かせないようでは意味が無い。ま、体術や剣術を稽古していて、男として満足感が得られるというだけでもいいと思うのですが、師匠としてはそれではダメなのだそうです。つまり、維新後、戦争で使われるでもない武芸がこの世にあって廃れもせずにそれなりに繁栄しているのは、技術的側面ではなく、その精神的哲学的側面に重きが置かれ着目されたゆえに生き長らえてきた、ということです。
 
ミもフタもなくなってしまいますが、これから先、戦争があっても各流儀の武技が戦争で用いられることはまずないでしょう。個人的なやむを得ない闘争や護身に用いられることはあっても、それは恐らくかなりのレアケースです。故に武道はそう言うことではなく別の面で社会に貢献する、社会に応用するべきだ、ということのようです。正しいか間違っているか分かりませんが、戦国時代から400年以上、本来の軍事目的に用いられなくなった武道が今に至るまで連綿と続いている理由はそんなところにあるのではないかと考えます。そしてそれがうまく機能しているからこそ、武士階級がなくなってから150年経った今でもサムライが尊敬されていると考えます。
故にどんなに華麗で優れた技を持っていても市井ではアルバイトなどでやっと糊口を凌ぐ、などというのはあまり誉められないということでしょうか。もちろん武芸者であれば選りすぐれた技量を持つべく日々研鑽せねばなりませんが、平時の武芸者たるや、更にその先、その武芸を平時に応用できねばならないという、大変難しい課題があります。いや、実際これに関しては私も人のことを言えた義理ではありません(笑)
 
ずいぶん昔ですが、宗家より槍術を指南して頂いていた折、「相手の体を突いてどうなる、心を突けないと意味が無いぞ。」というようなことを言われてハッとなったことがあります。現代で槍を以て人を突き刺すなど、よく考えたら蛮行の極み(笑) しかし現実にそれを稽古する者はその行為から何を期待して、或いは求めて稽古を続けるべきなのか、よくよく考えねばならないと考えたものでした。
 
そんなことを思い浮かべながら、江戸時代から現代に至るまで戦争には使われなかった武芸の在り方についていかにあるべきか、いつもよく考えます。

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令和参年文月七夕
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