金曜日に「千と千尋の神隠し」がテレビ放映されていました。
息子は多分、初めて見たのではないかと思います。
他の宮崎アニメと同じく、笑ったり考えさせられたり、非常に楽しく見ることができました。
翌週はとなりのトトロですが、もうこれは何回放映されたでしょうか。
優れた作品とはまこと色あせないものだと常々感心せざるを得ません。
「千と千尋の神隠し」を見終わってから、息子がふと尋ねてきました。
「あのさ、あんなにたくさんの神様って本当にいるの?」
「もちろん、いる。」(キッパリ)
「どこにいるの?」
「神様はどこにでもいる。」
「何で分かるの?」
「日本中、あっちこっちに神社があるだろう。日本人はいないもののためにあんな立派な神社を造るほど閑じゃないと思うよ。」
「おお、なるほど・・・確かにそうだよね・・・。で、「千と千尋の神隠し」に出てきたみたいな神様の世界ってどこにあるの?」
「ここだ。」
「え?」
「ここだよ。今、お前やパパ達が生きているこの世界は神様の世界でもあるんだ。」
「だって、テレビと全然違うじゃん。」
たまたま、居間のテーブルの上にトイレットペーパーの芯がありました。工作にでも使おうと思ったのでしょう。
私はそれを取り上げて言いました。
「ある人は、これはリングの形をしていると言いました。ある人は長方形だと言いました。また、ある人は楕円形だと言いました。またある人は円筒形だと言いました。更にもう一人は筒だと言いました。」
「・・・」
「いいかい、同じなんだ。神の世界も人の世界も。天国と地獄も同じところ、見方が違うだけ。神様の世界も人の世界も同じところにある、たったひとつのことだけだ。それがたまたま、こっちから見ると人間の世界だったり、あっちから見ると神様の世界だったりしているだけだ。」
「なるほど・・・」
「多分だけど、何にでも感謝して『ありがとう』って思っていれば神様の世界、毎日毎日不平不満を持って文句ばかり言っていれば地獄の世界、そんなものじゃないかな。だからいつも感謝したりありがたいと思って毎日過ごしたいね。」
以前、禅の師が話してくれたことです。
昔、ある男がどうしても死後の世界にある天国と地獄を見たくて、閻魔大王にお願いをして見せてもらうことにしました。
男は最初、地獄から見ました。
地獄には10メートルはあろうかと思われる巨大な釜があり、ぐつぐつと煮えている熱湯の中にはうまそうなうどんが放り込まれています。死者たちはその縁にしがみついているのですが、死者達は右手人差し指と中指だけが箸のように5.6メートルも伸びていて、うどんを掬うのですが、いかんせん長すぎて釜から取り上げられても自分の口に持っていくことができません。故に死者達は餓鬼のような形相で怒り狂い悩み呪いながら永遠に食べることができないうどんを掬い続け、飢え続けているのです。
男は恐ろしくなって天国に案内してもらいました。
天国にも10メートルはあろうかと思われる巨大な釜があり、ぐつぐつと煮えている熱湯の中にはうまそうなうどんが放り込まれています。死者たちはその縁にしがみついているのですが、みな幸せそうににこやかです。彼らは右手人差し指と中指だけが箸のように5.6メートルも伸びていて、うどんを掬うのですが、いかんせん長すぎて釜から取り上げられても自分の口に持っていくことができません。故に彼らは互いに釜の反対側にいる人たちにうどんを食べさせあっているのです。だから彼らは幸せそうに腹一杯うどんを食べているのです。
男は全てを悟って帰っていきました。
天国や地獄、人の世界や神の世界の関係はこんなものだと私も信じています。
雲の上のどこかとか、地底の奥深くなどと考えていても詮無きことです。
これはもともと何かの話しだったらしいのですが、私は非常に感心し、ことあるたびに息子に話し聞かせます。
今回はあまり深く考えないで息子と語ったことでしたが、思い直してみるとその通りだなと我ながら納得したのでしたためた次第です。
平成二十四年文月九日
不動庵 碧洲齋