昨夜は甲冑仲間達と飲み、ほろ酔い加減で帰宅したのが22時過ぎ。まだ息子はテレビを見ていたので風呂に入りました。
息子が観ていたのはウィル・スミス主演の「アイ,ロボット」。私はまだ観たことはないのですが、息子は真剣に観ていたようです。
寝る前だったのでやや温めの風呂につかっていると、息子がやってきてました。
「人間は誰が作ったの?」
「進化してそうなったのさ。」
「聖書には神様が作ったと書いてある。」
「昔はそう思われていた。もちろん正しくないけど。ただ間違っていなくもない。」
「どうして?神様は人間を作らなかったの?」
「思うに神様は人間の心を作ったように思う。肉体は猿から進化した。でも心を完成させたのは神様かも知れない。」
「ああ、知恵の実を食べたんだよね。食べてどうなったんだっけ?」
「全部、分かれて見えてしまった。元々一つだったのに、二つに分かれて見えるようになってしまったってこと。」
「・・・」
「元々、アダムとイブは二人いるとは思ってなかった。自分たちと神様がいると思わなかった。裸だとか裸でないとか思わなかった。自分たちと動物、自分たちと世界、知恵の実を食べる前はそういう風には思わなかったのだと思う。」
「じゃあ、地球を壊すほどの知恵を持ったり、人間だけが人間だと思ってしまうこともそのせい?」
「たぶんな」
「何で知恵の実なんて食べたんだろう。」
「それこそが人類最大の謎だな。言えるのは神様は何でもできるかも知れないけど、何でもする訳じゃないってことだ。自分で、考えてみるといい。」
「人間みたいな他の生き物はいないの?」
「つい2.3万年前まではネアンデルタール人という、今の人類とほとんど同じ人類がいたけど、滅んでしまった。人間だけが生き延びた。神様のおかげなのか、人類の知恵なのか、偶然なのか。分からない。でも自然は弱い生き物を生き残らせてくれるほどには優しくないと思う。」
「偶然ってないんだよね。」
「ああ」
「悟ったら、知恵の実を食べる前に戻れる?」
「多分な」
「ロボットも悟れる?」
「科学が発展し続けたら、ないとは言えない。50年前のNASAのコンピューターよりもポケットに入っているスマホの方が話にならないほど性能がよいなんて、誰も思わなかったからね。」
「考えるロボットってできるかな。」
「お前の世代次第かな。」
「考えるロボットっているかな?」
「いるかいらないかはお前が考えてみるといい。」
その後は何かぶつぶつ言いながら去っていきました。
人類の初原、人類が他と違うと悟ったその瞬間に、息子は興味を持ったようです。
犬は自分が犬だという自覚がない。鳥も自分が鳥だという自覚もない。
世の中で人間だけが自分は人間で、特定の名前を持つ世界でただ一人の個人だと自覚できることに、不思議を感じたようです。
風呂場で思わず、息子と深い話になってしまいました。
今度機会があったら、その「アイ,ロボット」を借りてみてみようと思います。
平成二十五年水無月二十九日
不動庵 碧洲齋