不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

父の命日

本日2月17日は父の命日に当ります。今朝は息子と二人で仏壇の前で読経しました。

今から10年前の2007年2月17日、奇しくも私がドイツの出張から帰国したその日に急逝しました。

母の時はガン告知を受けて告知通りきっちり半年で他界しましたので、心の準備ができていましたが、父の時は帰国したばかりで時差ぼけだったのとあまりに急だったので、10年経った今でも、何か悪夢の中での出来事のように感じます。

母が他界してから8年近く、父はどんなことを考えていたのか、今でも思い返すことがありますが、取り敢えずは結婚して子供が生まれたので、孫と対面させることができたことは僅かに親孝行したと思いたいところです。ただ、父が急逝の折は妻子はサイパン島に赴任していて、死に目には会えませんでした。心残りだったのは最後に一度、半年間会えなかった孫と会いたかったであろうという事でした。これは今でも心残りです。ただそういう気持ちが伝わっているのかどうか、息子は墓参りの折は率先して墓の掃除をしますし、墓参り自体嫌がったことは一度もありません。もちろん寺院に行ったり僧侶と対面することも他の子供よりはずっと頻繁にあります。仏教や神道を通じた人の生死に対する知識や理解も私が13歳の時に比べたら比較するのも失礼なくらいに深い(笑) 学問や運動だけができ、その順位だけに一喜一憂するような愚かにも浅ましい人間に育つこともなく。人間形成における宗教の重要性をこの10年間で再認識させられました。

父が他界したとき、聖書に出てくる言葉「汝隣人を愛せよ」の意味を痛切に思い知らされました。この「隣人」は「隣にいる人」ではなくて「心に寄り添っている人」ですが、これは本当に物理的、血統的な距離をを超えたものだと感じたものでした。

ネットで知っているだけの人、遠くにいる友人、良く会う友人から涙が出るほど温かい言葉を頂いたり、葬儀の手伝いをしていただきました。これには本当に救われた思いでした。特にインターネットが発達した現在、物理的な距離の遠近は寄り添う距離に全く関係ないと実感したものです。

サディズムは人の性なのでしょうか、一方、別の人からは弱り目祟り目の私にここぞとばかりに「生きている資格がない」「死にたければ死ね」「お前を見れば親の育て方が悪いのが分かる」とまで言われました。今に思えば自分の不徳の致すところでもあったとは思います。

当時武道でも仕事でも八方塞がりだった自分には、脆くもそんな罵詈雑言を喰らって本気で死にたいと思ったりもしたものです。そういう状況故に私の想像を超えた人間の残忍な一面、冷酷な一部も垣間見れた気がします。そういう意味で2007年は人生最大の危機だったように思います。

その時まで20年間励んできた武道の精神修養では乗り切れなかったこの危機を救ってくれたのが「禅」でした。それまでも禅はしていましたが、せいぜい嗜み程度。武芸で培った精神力を信じて疑わなかった自分がこれほどまでに脆いとは思いもよらず。自分の修行が足りなかったのか、方向性が悪かったのかもしれませんが、ともあれ武道はその時の私の助けにはならなかった代わりに、禅仏教の教えが私をよく支えてくれました。本当にギリギリのところ、寸分の差で仏の慈悲なのかご先祖様の救済なのか、精神崩壊にも肉体の破壊にも到らずに済みました。この気持ちは今なお、毎朝、常に感謝を以て仏壇にて読経しています。

それから10年、武芸と同じぐらい禅に打ち込んできましたが、自覚があるほど自身の性格や指向性が変化したように思います。物の見方がガラリと変わったというのでしょうか。生きるのが楽になった、雑音が消えた、よく見えるようになった、色々な表現がありますが、武芸と禅、両輪がうまく回っているために自分が平安にあるような感じです。

当時やこの10年間は、私を徹底的に追い詰めたヤツを許そうとか無視しようとかあれこれ格闘しましたが、ここ数年間はそれなりに感謝しています。個々から見た善悪などは些末なこと。その追い詰めた行為がなかったらこの素晴らしき仏法を知ることもなかったと思えば、世の中は何とうまくできているんだと思います。言った本人はサディズムに支配されていたとしても、大局を見たときに私がそういう方向に向うべくして向ったと考えると、やはり神の意志というのか天命というのか、はたまた運命、宿命というものはあるのかと思ってしまいます。

この10年を一区切りとして、また次の10年、更なる精進をして参りたいところです。

初めて孫を抱いたときの写真

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平成二十九年卯月十七日

不動庵 碧洲齋