不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

省察

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何とはなしに昔のブログを読み返してみました。

丁度父が他界した2007年です。

2月に父が他界して、色々あって武道も家庭も仕事も完全に行き詰まって本気で死のうと思いつめたかどうか、というところだったと記憶しています。

ブログの投稿回数を見ると2007年9月から2008年2月までの半年は月平均5回未満と私にしてはきわめて少なく、2008年の1月2月に至ってはそれぞれ2回と、超低空飛行でした。心理的にも2007年12月から2008年2月が一番ヤバかったような気がします。完全に鬱状態でした。

こういうときは武道で精神を鍛えた人ですら、ごく普通に自殺しようと考えてしまうものです。

そういうときだからこそ、手を差し伸べてくれた人、手を差し伸べなかった人、さらには毒を差し出した人が明白になります。今を以て手を差し伸べてくれた人には尽きない感謝があります。

(毒を差し出した人にはいかに仏心にかなうようにするか、というのが未だに課題ですが)

藁にもすがる思いというのでしょうか、父が他界した後ぐらいからよく寺に行っています。初めは群馬県にある山奥の禅寺でしたが、そのうちに人生の師を求めるようになったようです。

今の禅の師匠に出会った頃のブログが目に付きました。

2007年11月07日

近頃捨てるものが多くなってきた。

家には要らないものが多すぎる。

文明社会の弊を感じる今日この頃。

とうとう日曜日には「最後の聖域」たる書庫までに手が及んだ。

よく見れば要らない本が多すぎる。

書籍はBOOKOFFに行くと思うが、希望があれば友人に譲るつもりだ。

本当に何が要るのかは分からずとも

少なくとも不用な品が何かは分かるというもの。

溜まった垢をこそげ落とすかのようにしばらくは捨て続けるだろう。

家の中の不要物を一掃できるのはまだまだ先になるようだ。

2007年11月11日

ある時、2人の禅僧が旅をしていた。

川にさしかかったが、あいにく渡し船がなかった。

しかし岸には急ぎなのか、若い女性が佇んでいた。

僧の1人は裸になって着物をもう1人の僧に手渡し、

女性を担いで岸を渡り、着物を預かった僧も同じくして渡った。

女性は礼を述べて去り、2人の僧はまた旅を続けた。

かなり経ってから、着物を持たされた僧がたまらず責めた。

「君は僧として女性に接したことを恥じないのか」

女性を担いだ僧曰く

「君はまだ、あの岸にいるのか」

最近、私が命題にしていることである。

2007年11月17日

本然の我を知り、そこに還る時、道中の明りを灯すのが師ではないだろうか。

先日、新たに道中の灯し人の知遇を得た。

故に歩むべき道に誤りがなかったのだろうと思う。

灯されるに値する言行を慎しんで行いたいと思う今日この頃。

不思議なもので、身の回りには多くの不要なものがあり、それをできるだけ捨てようと努力していたようですが、その次はできるだけ過去に居着かないということもブログに書いています。

そして17日、人生の師に巡り逢ったことが記されています。多分、平日に行った記憶があるの実際に寺に行ったのは15日だったと記憶しています。

38歳の時です。

そして2008年の春ぐらいからどんどん自分の内面が飛躍的によくなってきたのを感じました。(2008年-2009年はリーマンショックで世は大変でしたが、それをものともせず!)

良師を尋ねて3年旅をせよ、と言われるぐらいですが、普通の生活をしていて良師に出会える確率はきわめて少ないと思います。私は武芸でも禅でもおよそ考えられる限り最高の師に巡り会えました。これは真に幸運と感じています。

その時はすがる思いで師事しましたが、今では良師に出逢ったことが人生に於いて何を意味するのか、ようやく分かってきました。不惑は文字通りではありませんでしたが、天命は少し早く来た感ありです。

今は迷いはありませんし、以前に比べてとてもハッキリものが見えます。見えるというのは視力ではありませんが。また、今度同じような状況が来ても今度は鼻歌交じりで乗り越えられると思います。

これを以て何をもせずにいれば多分本当の天誅が下されるような気がしてなりません。昔の人もよく言っていましたが世のため人の為に何かをする、その何かが分かった今、何もためらわずに邁進するだけです。

少々大言壮言をしてしまいましたが、人生の中で一番酷かった時期を振り返ると、そう思うのでした。

平成二十七年睦月二十二日

不動庵 碧洲齋