「みち」の語源ってご存じでしょうか。
幾つも説があるようですが、そのひとつが「路/じ」に「御/み」が付いて「みち」になったのだとか。
なぜ「御」が付いたのかと言えば、「神」がお通りになる「路」からだとか。日本だけではありませんが、よく道端には祠があったり石像がありますね。
だから「道」は聖なる通り、という意味だったのでしょう。
何千年も前の古代大和民族は、たかが人の通るところとは考えずに、神聖なものが通るところと考える辺り、さすが我らが先祖だと感心せずにはいられません。
そう考えると、確かにそこを歩く以上は卑しい人間ではいけない気になってきます(笑)
また、どの芸道にしても、それに恥じないよう、崇高な人格の完成を目標とすべきなのかも知れません。
私の場合は武道と仏道ですが、日頃通る何気ない道でも、「みち」の語源を顧みて慎み、日々人格の陶冶を怠らないよう心掛けたいものです。
平成二十九年如月十三日
不動庵 碧洲齋