不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

久しぶりに読んだ手塚治虫のブッダ

私が手塚治虫ブッダを読んだのはいつのことだったでしょうか。

多分、母が死ぬ少し前とかそんな感じだったと思います。故に15年ぐらい前だったかと思います。

図書館だったか立ち読みで読みました。

無論当時であってもなかなか感銘を受けた書籍でしたが、当時はそれ以上ではありませんでした。

今、息子のために買った手塚治虫ブッダ全12巻を読んでみましたが、何とも不思議な感じです。前に読んだときは自分とは反対側の遠くにあったものが、今度読んでみたらそれはこちら側にあるような感覚です。うまく言えません。

ブッダが悟る前の苦しみも、悟ってから発している言葉も、紙面上の言葉以上に理解ができます。

もしかしたらそれは単に年という歳月の成せる技なのかも知れませんが、多少なりとも禅仏教に打ち込んできたものもあったからだと信じたい。もっともそれとて極めつけに優れた師や禅仏教関係の友人知人がいたからに過ぎませんが。

ブッダの最後の旅の章では思わずうるっときました(苦笑)。

仏教の教えが自分の血となり肉となりつつあることをリアルに感じています。

宗教教育、私はどちらかというとちゃんと持った方が良いと思っています。特に子に対するカリスマ性に欠けると思うなら尚更。親が祈る姿、敬虔な姿勢、畏敬の念を持つ対象を見せる姿は決して無意味ではありません。私は日本人なので、あまりまとまらない、教義主義ではない神道が大好きですが、日本の場合はやはり神道と仏教は両輪ではないかと考えています。その考えは今のところ海外の人たちにはうまく伝わっています。親が事業で成功していたり、その道のプロだったりしていて、自分自身にそこそこ自信がある人ならとくにいらないかもしれません。それはそれで子供にとっては頼もしく映ると思います。

私の場合はたまたま禅仏教だったと言うだけで、他のものでもいいと思います。要するに日本人として先祖と自然に対する姿勢をはっきりと後世に見せるそのことが尊いのだと考えています。

武道をしているから禅も、というスタンスは何度も言ってますが好きではありません。宮本武蔵ではありませんが、宗教と武芸は別だと考えています。武道の嗜み程度なら禅は多分時間の無駄かも知れません。ただしやってみると共通点は非常に多くあります。

久しぶりに読んだブッダについてでした。

平成二十六年霜月二日

不動庵 碧洲齋