私が初めて禅の手ほどきを受けたのは2002年のGW頃だったか。
群馬県の限界集落の山奥にある、黄檗宗の寺に行ったのが最初だった。
何故そこかというと、前の週にNHK小さな旅でそこが紹介されていたからだった。
それまでは葬式や法要以外で僧侶と話したことはなかったが、その時初めて禅僧と話し、禅の手ほどきを受けた。
以後足繁く坐禅や稽古のために訪れた。
本格的に禅哲学に傾倒したのは2007年、父が急逝と仕事での人間関係に悩みと武芸のことでも悩み事があり、さらに追い打ちをかけるように家族の問題もあって、うつ症状が頻発していた折、このままではいかんということで調べ、現在の二人の老師に会った。人は30歳を超えたらそう易々とは性格は変われないと思うのだが、禅のお陰で自分の悪いところ、直すべきところがよく分かり、それまで周囲に迷惑をかけていたこと、我が身の未熟などが明らかになり大いに恥じ入った次第。
2007年までは20年以上の武芸歴が我が身の苦しみを救うと信じて疑っていなかったが、修行が足りなかったのか何なのか、その時に救いになったのは禅仏教だった。10代の頃は神仏否定主義だったし、20代は海外にいることが多かったせいか、基督教に深く傾倒したが、結局行き着いたのは禅仏教だった。実際に宗教に関わって感じたことは、やはり子供の頃から神仏を信じて尊ぶ心は持たないよりは持った方が良いという事。息子にはそのように教育してきたが、道徳教育には宗教が一番楽というか間違いない。(新興宗教は分からない)
特に日本人のハイブリッド信仰、神道・仏教というコンビネーションはなかなかに素晴らしいように感じる。日本人のモラルの高さはここに端を発すると確信する。他国にはあまりないものだけに大切にして行きたいものだ。
以後、現在に至るまで禅と武芸の二つが人生における指針の両輪になっている。
令和二年睦月十二日
不動庵 碧洲齋