不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

教育など

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最近、息子のために手塚治虫ブッダを全巻ボックス入りで買いました。

我が家にはほとんどマンガを置いてません。息子もそんなに欲しがりません。

友人宅に行くと時折読んでいるようですが、お小遣いをはたくほどでもなく。いつも何かを作っていたり私と同じく本を読むぐらい。パソコンのゲームもやりますが、そもそもパソコンが使える時間がかなり限定されるので執着するほどでもなく。

知人友人には「もっと自由にさせてやれば」という方も多いのですが、中にはどうも無責任と自由放任主義を履き違えている方が多々いるように思います。

子供は一番近くにいる大人(普通は親ですが)が責任を持って子を育てる義務があります。これは哲学的命題でも何でもなく、地球上のほ乳類がそうしているという意味です。

サルであろうとイヌであろうと親は子に対してベストを尽します。最も好ましい行動を見せて、危険なことを注意します。人間が動物と違うことは生命の危機、個体の生存以上に覚えることが多々あると言うことです。私はなるべく動物の例に倣って自分も勉強をして修練を研鑽して、さらに家事もせっせとこなしている故に、息子に何を言ってもちゃんと言うことを訊いてくれます。

ここに面白い例があります。

明治時代は世界的にも極めて類を見ない政変、革命、何でも良いのですが、変化でした。

色々問題がありもしましたが、それへ現代から観た視点に過ぎません。

アジアで未だ唯一の先進国で、世界的にもトップクラスの評価を今に至るまで持ち続けている国だという事実がそれです。

明治時代に生まれた人々の少なくとも半分は江戸時代の両親を持ちます。例えば少年時代が江戸時代だった人が成年になって結婚して子を儲けると、日露戦争時に20-30代の中堅クラスの両親のほとんどは江戸時代生まれとなります。

ちなみに大東亜戦争の中堅は概ね大正生まれ。親は明治時代生まれ。

身分差別もあり、何もかもが現代はもちろんのこと、明治時代と比べてもビシバシに厳しかった江戸時代に生まれた人は日清日露に現代史上パーフェクトに近い大勝利して、大東亜戦争は同じく現代史に残るほどの大敗北をしてますから、前者の方が遥かに優秀だったという事になります。日露戦争以後の日本人は東郷元帥の言に違い、ちと「ユル」くなってしまったのが大敗の原因かと思います。

緩く育てて優秀になった人もいると思いますが、それはいいわけにしか過ぎません。現実には厳しく育てられた人の方が多くの意味で、長期的にはやはり優秀です。

私はあいにくとかなり緩く育てられました。宗教的には何か教えられたことはありませんでしたし、学校の勉強もやれと言われたこともなし、芸事も自分が好きで始めて、細々と長くやっている程度。後悔と言うほどではありませんが、勉強はやっておいて損は無し、解のない命題を幼少時から与えておいても害はありません。そういう意味で今の学校の道徳教育はカスです。「いいお話集」と名前を変えたらどうかと思います。どこかでも言ってましたが修身を復活させれば良いのです。

仏教と基督教を同時に同じように教えることはできません。やはりどちらかに軸足を置かざるを得ません。ただし仏教や神道は他の宗教や神を認めますから自由度が高い。私は禅仏教や神道をよく息子と語り合います。今の人間は根本の問題から逃げている。生きること、死ぬこと、生かすこと、殺すこと、この辺りは根本であり、子供だからといって「後で」はありません。私の場合はたまたま息子が妻とサイパンに赴任している間に父が他界して、息子がどうしても腑に落ちずに帰国後毎日「なんでジイジは死んじゃったの?」という問いを1日何度も、何ヶ月にも亘って訊かれました。当時は仕事も武道も家庭も行き詰まっていて、精神的に人生で最悪の状態だったため、本気で気が狂いそうでしたが、それ有るからこそ今があります。息子が人の生死に深く省察する所以はここにあります。私が教えたわけではありません。

私の場合、苦しみは禅仏教によって救われました。息子は私の生ぬるい人生などではなく、宇宙飛行士という大目標があり、そうでなくとも宇宙関連の仕事、つまり国際社会人として生きていくことになります。その時、多くの日本人が誤解/夢想/勘違いしている国際社会人=地球連邦市民ではなく、世界から敬意を持たれている日本国民として恥ずかしくない教育を施しておきたいと考えています。これが本当の意味の国際社会人というものです。私の知る限りでは。

その時に必要とされるのがマナーやエチケット、正しい日本語、英語(残念ながら)、宗教、歴史、日本人の慣習などです。

私の経験ではこれらは不可欠です。

特に宗教に関しては欧米人を理解するのに基督教は絶対不可欠でした。私は聖書は頭から何度も読みましたし英語版も一度読み通しました。教会に行ったり神父さんとも話しました。(当時は無宗教者でしたが)故に日本人として何か筋の通ったものを教えると言うことは親としては重要ではないかと思っている次第です。単に私の場合は禅仏教だったり武道だったりしているだけです。基督教でも神道でも構いません。道筋が違うだけです。

そういう事を考えながら、息子を見守っています。

手塚治虫ブッダ、ちょっと長くなったので改めて。

平成二十六年霜月二日

不動庵 碧洲齋