先ほど、夕食時に妻が息子に尋ねました。
「今日宇宙博で見た中で一番興味があったのは何だった?」
息子は少し考えてから
「ペンシルロケット」と言いました。
ちょっと衝撃的でした。
実物大のアポロ宇宙船もあったし、同じく実物大のISS日本モジュールもありました。各惑星探査機やスペースシャトルの前だけですが実物大の模型もありました。そういう壮麗な展示品ではなく、小さなアクリルケースに収められた地味でしかも錆びている小さなロケットが興味深いと言いました。
確かに会場ではその小さな展示品をしばらく眺めていました。
妻は白けたのかなんなのか、以後何も言いませんでしたが、私は理由を聞きました。
「日本のロケット技術の一番最初の出発点、原点だからかな。」
大人が言うなら分かるのですが、10歳の子供が言うのだから感心です。
実は会場の別のところにもペンシルロケットが置いてあります。それは2005年に宇宙飛行士野口さんが記念にISSに持ち込んだものです。これは1基を横に置いてアクリルケースに収めたものですが、もちろん実物。息子はここでも少し考え込んでいたようでした。
ペンシルロケットは戦後10年に飛ばされましたが、その当時はまだまだ敗戦国でした。表だって正々堂々とロケットを上に飛ばすことはできませんでした。負けたからそういう研究はやらないように、と言われて「ハイ分かりました」と疑念を挟まずにできるところから少しでも先に進める、そういう不撓不屈の精神が今の日本の宇宙開発、いやそれ以外の部分でも生きています。そういう意味で、息子の心にはユーリー・ガガーリン少佐と並んで糸川英夫博士の名前も刻まれたと思います。
どんな巨大技術、精密技術にも基礎があります。
例えば隣国の中国や韓国ではパクリが流行っていますが、それは彼らには基礎研究、基礎技術が欠如しているから。宇宙開発にお金をつぎ込んでいるのは基礎研究のためではなく、あれは他国から技術を買っているためです。
同じアジア人でもこんなに違うものかと思います。
息子の目の付け処の良さに感心し、嬉しく思いました。
一方で、たまたま会場に「2001年宇宙の旅」のポスターがありました。
私が小学生だったとき、21世紀というのはまさにこの「2001年宇宙の旅」のような時代を夢見ていましたが、現実にはこれが作られた時代とはそう多くは変わっていません。せいぜいIT革命が席巻して、その恩恵を受けたことぐらい。それ以外はある意味ほとんど何も変わっていません。
巨大な宇宙ステーションも月面基地も有人火星探査船もまだないことに実は今でも少し驚きを覚えます。せいぜいISSがあると心の慰めになる程度。私たち大人の責任です。戦争などしている暇がないほど宇宙開発をする時代はもう来ていなければおかしいと、私はいつも思っていますが、どうも我々バカ過ぎる大人のために半世紀かそれ以上ずれてしまってきているようです。そういう意味で息子や子供たちには本当に申し訳なく思います。
規模こそ大きくはありませんが、日本の宇宙開発技術は間違いなくトップクラスです。今後、宇宙開発によって十分に利益還元が見込めるようになれば、湯水のように投資するようになってくると思います。そうしたら愚かな民族間や国家間の戦争も激減するのではないかと期待します。本当に叡智のある国がリードすると思います。日本もその国の一つであって欲しいと思い、息子を育てています。
今日は非常に素晴らしい一日でした。
平成二十六年文月二十日
不動庵 碧洲齋