昨日は稽古が遅くなり、帰宅したのは23時少し前。
我が家を見上げると、息子の部屋だけが明るくなっていました。
時間が時間なので多分、照明を付けたまま寝てしまったのだと思い、2階に上がってそっとドアを開けました。
すると息子は入り口からだとちょうど背を向ける格好ですが、机に向かって一心不乱に何かを書いていました。
「こんな時間に何やってんだ?」
「秘密基地の設計図を書いているの・・・」
振り向きもせず答えます。
数日前から来週の日曜日に友達が遊びに来るので、その時に庭に秘密基地を作る約束をしていました。
後ろから覗くと、資材一覧表や設計図などなど、きれいかつ綿密に書かれています。
驚きました。
実は昨日、仕事から帰ってくる時に会社から幾つかダンボール箱や厚紙の筒などを幾つか持ち帰ってきました。もちろん秘密基地の資材として。
息子に尋ねると非常に満足していました。
「早く寝ろよ」
と言って部屋を出ました。
息子の将来の夢は宇宙飛行士かロケット設計技師だそうです。
私の子供の時代と比べてそういう職業は決して星を掴むようなものではなく、かなり現実的に届くようになりました。
宇宙開発とはこうも素晴らしいものかと感心します。
科学の発展は確実に宇宙開発に注ぎ込まれているのが分かります。
息子が熱心に宇宙のことロケットや宇宙船について質問するので、私も真剣に答え、共に調べます。
今は小学3年生の小さな背中です。
しかし私は未来の優れたロケット設計技師の背中を見た気がしました。
スタートレックの有名な台詞があります。
「宇宙、それは人類最後の開拓地である・・・」
広大すぎる大宇宙に挑もうとする人類。
その挑戦をしようとしている一人が息子です。
私は勉強しろとか言いません。
熱心に人類の夢、仏の慈悲、神の在り方、未来の素晴らしさなどを語ります。
未来の夢をどんどんふくらませる手伝いをする、それが親の大事なつとめだと思います。
それに比べたら教育の大切さというのもあくまでおまけでしかありません。
勉強というのは、それらを追求する手段です。目的ではありません。
思うに今の大人はその辺りを大いに勘違いしているような気がします。
勉強に気付くのは本人です。
楠の種に明日咲けと無理を言ったり、朝顔の種に1000年先続けろと無理を言ったりしていないでしょうか。
本来の在り方、あるべき姿を忘れて、自分の都合で花を咲かせようとすれば、それは決して咲きません。教育はそんなものではないかとよく思います。
親というのはロケットで言えば補助ブースターです。息子の人生の最後にまで付き合えません。途中で切り離されて落ちていきます。補助ブースターはロケットを、1段目は2段目を2段目は衛星や宇宙船を。人の一生はそんなものだと思っていますし、息子にもそう言っています。ロケットの構造を見て然り。誰もが自分のことばかり考えていたら、目的は達することはできません。親はただ、子供が進みたい方向に対して途中まで助けるだけです。子供の成功を見たいだとか、子供の幸せを見届けてだとかいうのはみんな親の勝手なエゴです。親は子を助ける、という尊い行為の中にだけ、親は生きているような気がします。
なのでせめて、親としては子供が輝かしい未来を造りあげて、大宇宙に人類を躍進させている夢は見ていたいですね。そういう意味では夢は実現すると本気で信じています。
平成二十四年神無月二十五日
不動庵 碧洲齋