不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

反対側から見た風景

昨日は靖国神社に関連して色々書立てましたが、何故こういう事を書くのか、もう少し言ってみたいと思います。

私の所属する流派は日本ではあまりなじみがありませんが、世界ではなかなか名が知れていて、世界規模で言うと外国人の方が9割以上を占めるほどです。

毎回、世界各国から門下生が出稽古にやってきます。1年とか、経済的に苦しい国では3年とかコツコツお金を貯めて2週間とか、まあお金のある人は1ヶ月とか滞在して稽古をします。

そういうことで30年近く、色々な国の人と日常的に話すのが私の普通の暮らしです。今では仕事でも数カ国の顧客や中国工場のスタッフとやり取りしています。基本、英語を使わない日はないですし、忙しくても1週間に1回ぐらいは実際に会って会話をします。

やってくる外国人門下生たちは今でこそ一般人が多いのですが、10数年ぐらい前までは半分以上は軍人か警察官でした。私の英名"Bruce"を名付けたのも現役の米陸軍特殊部隊グリーンベレーの隊員でした。先月まで戦場にいたとか、そういう方もよくいました。

若気の至りで10代の頃は「戦場で人を殺したことはありますか」というタブーな質問もしました。留学中とそれ以後は、信頼関係が深くなると政治や戦争、信仰についても深いところまで話したことがあります。その為に苦労して英語の聖書も読破したことがあります。

留学中、一番ショッキングだったのが戦死した兵士の葬列を見たとき。丁度湾岸戦争があったときでした。日本では「戦死した兵士」は先の大戦後いません。今の自衛隊には戦死者はいません。目の前のそれを見たときは言葉がありませんでした。家族は悲しみにうちひしがれていました。近くではイラク人はみんな殺せと言う人もいましたし、遠い国に出向いてまでしなければならないことかと叫んでいた人もいました。

米国だけでなく、先の大戦では敗戦国だったドイツでも実は戦死者は出ています。結構危険な任務に就いています。先進国で全く戦死者を出していないのは日本だけというのはたぶん間違い有りません。それが良いことか悪いことか分かりませんが、常任理事国入りを強く阻んでいる理由であることは強く感じます。

同じぐらいショックだったのは、太平洋戦争でB-17の乗組員だった老人と話したとき。彼は幾度か日本軍を爆撃しましたが、2度ほどゼロ戦から攻撃を受け、僚機がガンガン撃墜されて、自分の背後で親友がゼロ戦の銃弾によって打ち抜かれ戦死しました。それでも彼は日本人は尊敬するに値する素晴らしい民族だと言っていました。その時、B-29完成50周年記念で、空には本物のB-29とレストアされた本物のゼロ戦以下、大戦中の戦闘機や爆撃機がたくさん飛んでいました。今に至っても不思議な感覚と強烈な印象です。

オレゴンにはランボーおじさんみたいのが山奥で暮らしているのもよく見ました。ベトナム戦争帰りだった人の話も聞きました。意外に日本人よりもナイーブだと感じたものです。

逆に原住民インディアンたちのナマの生活も見てきました。今なお虐げられた生活を強いられている彼らの苦しみも目の当たりにしてきました。これは豪州アボリジニーでもニュージーランドマオリでも同じです。

10代から20代にかけて、私は日本にいてはなかなか聞けないような話を聞く機会を持つことができました。歴史好き、戦史好きも相俟って、色々考えさせられました。

日本にいて、私ぐらいの年齢であれば祖父の戦争体験は聞いたことがある人は多いでしょう。でも相手側の戦争体験、今なお継続されている戦地の戦争体験をナマで聞いている人はそう多くないと思います。

そういうものを踏まえて今の日本を見ていると、みんながみんなではありませんが、あまり重厚な論議が尽されているようになかなか感じられない。

今年、日本にやってきた外国人は一千万人を超えるそうです。中国が台頭してきたとは言え、今なお世界からすれば日本は東洋の神秘、奇跡なのです。世界で一番古い君主を戴いた、世界で一番古い国、アジア唯一の先進国、非基督圏唯一の先進国、一度も侵略を受けなかった国家(ま、アメリカには負けましたけど)、そういう意味で今なお、日本という国は世界からすると憧れでもあり神秘でもあることを、同門の言動から強く感じます。

一方、日本人は長引く不況と閉塞感から海外に行く人が俄然減ってきました。私が言っている「行く」の意味は観光旅行などの意味ではありません。留学とか仕事です。大いに譲歩して、1ヶ月以上その国に滞在して、その国の裏側も表側も舐め尽すように知ろうとする努力をするというのもいいかもしれません。私は仕事でも豪州にトータル1年半ほどいました。

じかに外の国を知る、感じるという努力を放棄してネット上の情報に頼ると、どうも薄っぺらな論議になりがちな気がします。(ネット上の論議も必要不可欠ではありますが)特に日本人は戦後、危機的な状況に立たされていません。危機的というのは国家が滅亡するという意味であって、金持ちから貧乏になるとか言う意味ではありません。そもそも戦死者が出ていないのですから、危機的であるはずもありません。

だから若い人は積極的に外国に出て、色々な人たちと接し、できるだけ見聞を広め、自分の考えを醸成して欲しいと思います。今の若い人たちを見ているとそういうものを持っていない人がとても多く感じられます。海外にしばらく住んで外側から日本を見る、外側の人たちの日本に対する意見や感想を知って論議してみる。自分が知っている日本と外国人が知っている日本、外国人が期待する日本と自分が作りたい日本、そういうものが徐々に見えてくると思います。

そういうものが見えないのに無闇に不毛な論議をしてはなりません。これは私が外国人たちと政治・経済・文化・宗教・戦争について話し合うときに心掛けていることでもあります。もちろんその上に誠実さと謙虚さもなるべく持ち合わせることも必須条件です。それに比べたら本来語り合うのに必要な知識も、実は思っているほどにはたくさん知らなくてもいいようにも思います。

10代20代の若者は結婚して子供ができる前にそういう体験をなるべくたくさん積むことを強くお勧めします。

平成二十五年霜月二十一日

不動庵 碧洲齋