不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

日記を書いていた

日記を付けている人はいるでしょうか?

私は2003年11月4日から2008年6月1日まで、5年近く日記を付けていました。

といっても詳細な内容ではなく「四行日記」という、ごくごくシンプルなものです。

ネットで調べてもでてきますので、興味がある方は検索してみてください。

慣れれば非常に簡単に書けるようになり、要約力や観察力が身に付くかも知れません。

今日はヒマなので、久しぶりに開いてみました。

開始した頃は丁度息子が生まれた頃に当ります。そして止めたのは今の会社に就職してしばらくしてから。禅を本格的に修行して半年以上してからでしょうか。

正直言うと、人生の内で一番激動の期間だった気がします。

今読んでもその頃の記憶が甦り、正直いい気はしません。

私にしては「死んでやる」とか「俺はもうダメだ」とか、珍しく気の弱いことが書かれた時期もありました。当時は相当深刻で崖っぷち、こう言うとちょっとハズいですが、御仏の御加護がなかったら、地獄に真っ逆さまに墜ちていたことは間違いありませんでした。武道で鍛えたと思っていた鋼鉄の精神力はどこへやら、藁にもすがる思いで改めて始めた禅でしたが、思いも寄らぬ優れた師匠との出会いに危機一髪で救われました。

ま、今となっては一笑に付せる程度の記憶です。自分のことだから笑ってもいいですよね。

こんな時に助けてくれた人というのはなかなか良く覚えているものです。

地獄に仏とは言ったものです。

日記を止めるきっかけは、過去を振り返ることにあまり意義を覚えなくなった為。

禅では「前後際断」と言いますが、未来とか過去をバッサリ斬り捨てて、今この瞬間に集中する、全うすることを良しとします。確かに過去の不幸をくよくよ嘆いても、或いは過去の栄光にしがみついてもあまり前向きではありませんから。

過去のよい記憶は胸に秘めているだけで十分です。紙面にする必要もありません。

日記を書くことに意義を覚えることがいけないことではありませんが、私には不要だと感じて止めました。

今に集中することの楽しさを知りました。これで十分。

とはいうものの、息子にはしばらくやって、自分を内省する期間は欲しいとは思います。その内折を見てこの四行日記を教えたいと思います。

平成二十五年霜月二十一日

不動庵 碧洲齋