昨夜、息子と風呂に入った折、昔のブログを読んだ話をしました。
そして、興味があるだろうと思い、火葬した際に叫んだ言葉を教えました。
「まあ、覚えてないだろうけど、お前はジイジが火葬されたときにジイジが飛んでいくのを見てたんだよ。『あっ!ジイジだ。ねえパパ、ジイジが飛んで行っちゃったよ。ピューッて。』そんなことを言っていた。俺とママもお前が見ていた方向を見たけど見えなかったな。」
「へぇ、俺、そんなこと言ったんだ。でもなんでパパは見えなかったの?」
「そうだなぁ・・・大人になって色々頭に知識が詰まってくると見えなくなるんだろうな。仏から生まれてきて随分長くなるしな。」
「それはたぶん、俺が見えたのは仏の内側からジイジを見てたからだよ。仏の中から仏のジイジを見たから、見えたんだと思うよ。きっと仏は外からは見えないんだよ。」
「ああ、なるほど。お前いいこと言うな。そうか・・・」
「3歳だったら、仏から生まれてきたばかりだから、まだ仏がたくさんあるんだよ。」
「・・・」
風呂のおもちゃで遊びながら何気なく言う息子の台詞に考えさせられました。
「でも学校で色々な知識が頭に入ってくると仏は見えなくなるんだよね」
「残念ながら・・・」
「でも自分たちは仏で、死んだら仏になるんだよね。」
「ああ、いまのパパの歳が一番、仏から遠いんだろうな。歳を取るとまた、仏に近くなると思う。」
「そうだよね。」
偶然にも本日から7日間は臘八坐禅会です。息子が何気なく言ったこの言葉を、今年の臘八坐禅会の命題にしようかと思います。
平成二十四年師走朔日
不動庵 碧洲齋