不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

昔のブログ

昨日は稽古を終えて帰宅して、遅い食事の後になぜか昔のブログをまじまじと読んでしまいました。初めてブログなるものを書いたのは2004年6月、楽天ブログにて彩時記と命名していました。今よりも雅びな気がします(笑)。息子が生まれて約8ヶ月後になります。

その後、2007年1月頃からはmixiに移動。SNSは甲冑関係の仲間との連絡用でした。そして2009年12月からは現在のウェブリブログに移動し、その時に碧眼録と命名されました。私のプロバイダーがビッグローブだったので、ブログのURLにhekishusaiが使えたためです。個人的には他にも優れた使い勝手の良いブログはあるのですが、やはり色々考慮するとプロバイダーのブログが一番安全パイだと思った次第。

今まで書いたブログの中で一番、印象が強かったブログを再掲したいと思います。

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2007年02月22日

天のこと

中国思想に「天命」という思想がある。西洋の神とは違う。百万人の人間が真摯に祈っているそばに大洪水を引き起こすこともあるかと思えば、罪な人間が困ったときに死ぬほど祈ると天が哀れんでくれたりと、西洋の神は気ままな事象だ。

17日、欧州から帰国したその日に父が心筋梗塞で急逝した。帰国してたった6時間と経たずにだ。しかも5日後には半年ぶりにサイパンに行っていた孫に会えることになっていた。2日間ほどはきっと何か悪い夢を見ているのだろう、朝起きれば何もかも普通に戻っていると信じて震えながら寝たが、朝起きても確かに悪夢はそのままだった。

私の出張中に起きなくてよかったのは幸いとは思うが、妻と息子が浮かばれない。あとたった5日、生きてもらうことが叶わなかったのだろうか。天意というのはかくも冷厳なまでに存在するのだろうか。分からない。多分、一生をかけて答えを見つけなければならないのだろう。

ありきたりすぎるが、息子として父にはもっと孝行をしたかった。言いたいこともあった。「あなたは世界で一番の父だ。」「私の父でいてくれてありがとう。」亡骸の前でなく、生前に言いたかった。言えたはずだった。難しいことでは全くなかったはずだった。武芸者としてくだらないことばかり悟り切ったつもりでいた罰かも知れない。多分そうだろう。

火葬場で父の亡骸を送った後、3歳の息子が不意に足を止めて、高い天井を指さして叫んだ。「あっ!ジイジだ。ねえパパ、ジイジが飛んで行っちゃったよ。ピューッて。」息子には死というものが分かっているのだろうか?時折私には息子の言葉の端々にはよくそれを理解している節があるように思う。純粋な魂は私には見えない何かが見え、語らせているのだろう。それから多少、現実へのスイッチが入ったような気がする。

通夜に参列していただいた友人方、式を手伝ってくれた武友たちには礼を述べても述べ足りない。式に参列いただいた友人達の顔は夢の中にいるようで、自分でも夢か現実かよく分からない。ただ、例えそうだとしても悪夢の中にまで助けに来てくれた友人達には深く感謝している。

明日からはまた稽古に復帰しよう。時は天命と同じくらい、冷厳に進んでいくものなのだから。

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父の最後を見たのは私の息子だったのかと、今更ながら新鮮な驚きがあります。あのときの情景は今でも鮮烈に脳裏に焼き付いています。あのとき火葬場から待合室に移動していました。私は幼い息子の手を引いて歩いていたのですが、渡り廊下の途中で息子が突然立ち止まり、弾かれたように天井を見上げて指さし、叫んだのを今でもハッキリと覚えています。私と妻も見上げましたが、何も見えませんでした。しかし息子の目は確かに何か見えないものを追っていました。今は少しだけ理解した気がします。

明日はブッダが悟りを開いた坐禅を始めた日です。8日の明けの明星を見て大悟したと言われています。禅宗の多くの修行道場ではほとんど不眠で7日間、同じ事をします。私が通っている寺でもこの1週間、夕刻1時間程ですが7日間、それにちなんで特別な座禅会が行われます。ここ数年は必ず参加していますが、今年は2.3回、息子を連れて行こうと思います。

平成二十四年霜月三十日

不動庵 碧洲齋