今日は門下生が2人ほど来たので、3人で稽古をしました。
まずは受け身。今日は木刀を持参したので、木刀を保持したまま前受身、後ろ受身、横流れ、巻き込み、後ろ流れを左右。
持ったまま受身をすることそれ自体はとても簡単なのですが、いつでもスタンバイ状態でそれをするのが難しい。
もちろん、地面や自分自身にぶつけずに受身をするのも難しい。
しかしこの受身がどれだけ完璧にできているかが重要なんですね。
山などの傾斜のあるところで・・・
木々が生い茂っているところで・・・
地面が落ち葉で全く見えないところで・・・
6尺棒を持ったまま・・・
まだまだありますが、とりあえずこんな状況下に比べたら、畳の上で木刀を手にした受身などはおままごとみたいに簡単なのです。
少し剣術。
剣術に限った話ではありませんが、技は少なくとも寸単位で見切れるかどうかにかかっています。
それができてやっと1人前でしょうか。多少甘く見て。
詰め寄りすぎたり届かなかったり。
武器が自分の腕の延長のように感じるようになってくればよいのですが、その腕や足を確かな体術で用いることができるかどうかにかかっています。
手ほどき
体をほぐすための、ごく簡単な技です。
理想としては風に吹かれる枝葉のような動き。
起こりも終わりも見えない動き。
今日のお題の技、その1
要するに基本八法二つの組み合わせです。
私は技と術を例えばこのように考えています。
技に起こりがないようにするのは、それがもともと環を成しているからです。
術は環のようなものです。
環にはスタートとゴールがありません。
まだ先がありますが、取りあえず技と術はこんな関係であると思っています。
だから切断面を見て元々なにもないと思う人と、切り取られている一部だと思う人とでは、体術に対するセンスに大きな差が出ます。
技は稽古の便宜性を考えて、術から一部切り取っただけのものであると認識するか否かです。
技そのものだけで使えないことがあったとしても、それは術を構成する重要なパーツであるはずです。
そして術を使えない人は多分敗れます。
あ、ちょっとクリティカルなことをほざいてしまいましたね。
忘れてください。
二つ目の技。
ちょっとキケンな技でしたが、2人ともなかなか良くできました。
動きが自然であればある程、相手に気付かれません。
そして疲れません。
体術を全体的に稼働させるにはどうしたらよいのか、各自で考えてほしいと思いました。
言葉を尽くしても分からせられる部分はごく一部です。
重要な部分は全て、体得するしかありません。
と・・・理想に燃えながら指南する碧洲齋でした・・・
SD111123 不動庵 碧洲齋