私が生まれたとき、長野県から血統証付きの柴犬がやってきました。
父がわざわざ探して、買ったそうです。
アローと名付けました。今となっては何故そういう名前にしたのか分かりませんが、アローは私が中学校3年生の冬に寿命を終えました。今思えばもっともっと面倒をみてやれば良かったと思います。
寒い冬のある日の朝、私ははっとして飛び起き、訳も分からず外の犬小屋に駆け下りました。
その直後、アローは息を引き取りました。
実直で賢い犬でした。
ペットではありませんでしたが、引っ越す前まで、ずっとエサを与え続けていた野良猫がいました。
非常に大きな虎猫だったので「ジャンボ」と名付けていました。
近所でも有名な猫でしたが、餌を与えていたためか、近所に迷惑なことをするわけでもなく、子供達と仲が良かったようです。
引っ越した後、時々遊びに行きましたが、しばらくはみることがありました。
その後、2.3年程、猫を2匹飼いました。
白い方はエル、黒い方はトムと名付けました。
エルはしばらくするといなくなってしまったのですが、トムは私が留学するまではいました。
良く考えると、この頃まで、うちではインコも飼っていました。
多いときは4匹になることもありましたが、これらは全て買ってきたのではなく、うちに迷い込んできたインコたちです。
留学から帰ってくる直前にまた犬を飼いました。
今度は当時なかなか人気があったシーズー犬でした。
雄で毛並みの良い白色だったためやはり「エル」と名付けました。
アローに比べると頭の回転は今ひとつでしたが、器量が良く、皆大事にしていたのですが、どうにも車を見ると飛びかかるクセが禍して、2年半後に車と正面衝突して死んでしまいました。
これは私を含めて家族みんなが悲嘆に暮れました。
3年は何も動物を飼う気がしませんでした。
私の帰国前後からでしたが、やはり母はよく野良猫に餌をあげていました。
3世代にもなったと思います。
野良猫というのはちゃんと餌をやるとかなりお行儀が良くなります。
そしてよその野良猫を追い払ってくれます。
何と言ってもちゃんと餌を与えると、毛並みも良くなり、うす汚い感じにはなりません。
また、残念なことに自然は厳しいようで、4.5匹も産んでも、1.2匹が生き残るのがせいぜいのようです。
98年の秋だったと思います。
犬で2代目、通算で3代目のエルがやってきました。
今度もシーズーですが、同じ犬舎から来ました。
前のエルとは同じ血筋でした。
みんなで可愛がりましたが、残念なことにその翌年、母が他界しました。
エルが家に来てから半年後には母は病院に行ってしまい、入退院を繰り返していたので、面倒はほとんど父が見ていました。
少し前に定年退職をしていたので、本当に大事にしていました。
その間に私が結婚をして家を出て、弟が山梨の方に働きに出て、息子が産まれたのを機に実家に戻ったりと慌ただしかったのですが、3代目エルは赤ちゃんだった息子が大変気に入ったようで、1階で遊んでいるとすぐに駆け寄ってきて一緒に遊んだものでした。
妻が以前から希望していた海外で日本語を教えるという機会があったため、息子を連れてサイパン島に行かせました。その間はつまらなさそうでしたが、不幸にもその間に父も急逝しました。
割に広い家に私と犬だけというのは本当に心細いものでした。
それが半年続いた後に妻子が帰国。
面倒はほとんど私が見ましたが、時折息子にも面倒を見させました。
緊張の糸が切れたのか、妻子が帰国した後、2.3ヶ月は腰が抜けたように歩けなくなりました。
幸いにもその後持ち直しましたが、やはりエルにとって父が死んだことは大きかったようです。
その後、数年、普通に生活をしていましたが、あるときから今まで行っていた散歩のコースを嫌うようになり、徐々に距離が短くなり、足腰もおぼつかなくなってきました。
その頃ですが、1匹の雌の三毛猫が家にやってきました。野良猫です。私は母の例に倣って餌を与えました。元々器量が良かったので、行き交う人も時折頭をなでていたようです。家の裏には物置小屋が併設されているので、我が家は野良猫には過ごしやすいのです。息子はその猫に「ランちゃん」と名付けました。
翌年、ランちゃんは4匹の子猫を産みました。
ちゃんとしたペットフードを与えていたので、皆、毛並みがよい子猫でした。
母親が私になつき、餌も人間からもらっていたために、人間にあまり警戒心がなかったのかも知れません。
1番目と2番目に毛並みの良かった子猫がいなくなりました。連れて行かれたのだと思います。
家の場所柄、車にひかれたりすればすぐ分かるところにあるためです。
その前後、母猫もいなくなってしまいました。
前の時もそうでしたから、野良猫はもしかしたら信頼に足る人間を見つけると、子供達を残して去って行くのかなと思ったりします。
残ったのはやや目が不自由な猫と、毛並みの良いリーダー格の猫でした。
やがて目が不自由な方の子猫はいなくなりました。
最後に残ったリーダー格の猫は、これまた息子が「オーちゃん」と名付けていましたが、急激に親しくなりました。
やはり野良猫とは言え1人になれば寂しいものです。
普通に家に入ってきてソファで昼寝をしたり、一緒に遊んだりしました。
蚤取り粉をつけてやったり、手入れをしたのでとても野良猫に見えないのは言うまでもありません。
うちのエルとも非常に仲が良くなりました。
一緒に昼寝をしたりしていました。
エルは老犬だったので、あまり相手をしませんが、猫の方は大変エルを気に入っていたようです。
オーちゃんは時折、布団の中にまで入ってきたこともありました。
その猫もやがていなくなってしまいました。
私は誰かにもらわれたと信じたいところです。
その後、エルも急激に体力が落ちてきました。
やはり同じ動物が近くにいなくなったことには寂しさを感じていたのでしょう。
7月に他界しました。
私が禅仏教に信心してから初めて死んだペットでした。
享年約13歳ですから長生きしたと言って良いでしょう。
我が家では伝統的に動物を飼うことは教育上とてもよいことだと位置づけていますが、生き物故に家族全員の同意なしには飼うことはできません。私は息子には生き物を飼うことで責任感が芽生えたり、自分に潜む残忍さや冷酷さというものがどんなものか、客観的に分かったりするものだと思っているのですが、同意しない家族がいる以上は飼うわけにもいきません。
自分の中にある仏、慈悲、そういったものを自覚し、助長するにはペットを飼うことはとても良いと信じています。
幸いにもうちは一軒家で周囲にも迷惑がかかるような場所でもありません。一生の内に動物を飼うことの素晴らしさを知って欲しいと切に思うのですが、本当に残念なことです。
SD111123 碧洲齋