不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

流水の如く

武芸と格闘技の優劣を論じるのは全く以て意味が無い。

それは例えば車の世界でF-1と乗用車、どちらが「いい車」かを論じているようなものであるからだ。

ちなみに流派の優劣も意味が無い。ホンダが良いかトヨタが良いかなど、人それぞれだからだ。

 

格闘技には「引退」がある。

武芸には「引退」はない。

逆に言えば「引退」の定義があればそれは「格闘技」でなければ「武芸」だと私は定義している。あくまでも私の定義。

「引退」があるのはある意味常軌を逸した、大変キビシイトレーニングに明け暮れているのでそれを生涯やっていたら身が持たないという事。

なので武芸者で格闘技家であるが、格闘技家だけ引退した、というのもアリだ(笑)

多分その逆はない。

 

格闘技というのは対戦日時、対戦時間、対戦相手、対戦ルールなどなどが厳然と厳しく定められた、人工的な限定環境下での闘争故にあれだけ厳しく激しい動きが可能になる。

故に人はそれに興奮する。私もものによっては引き込まれることもある。ま、私は痛いのは好きではないので格闘技はあまりしたくないが。

 

一般普通の方々は「本物の武芸の戦い」というのはほぼ見たことはないと思う。

映画で見ている武芸の達人同士の戦いは入念に設計された作り物だし、各会場で興行されているのは「格闘技」だ。本物の戦いだったら「2度目のチャンス」はない。だから「試合」ではなく「果し合い」になる。

 

多分、昔の達人同士の武芸の闘争は恐ろしく静かで自然だと思う。

もしかすると現代人にはそれを見てもそれと気付かないかも知れない。

 

日々そんなことを考えながら精進している。

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令和弐年霜月七日

不動庵 碧洲齋

 

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