不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

掃除から学ぶ

日曜日は息子と自宅の掃除をしました。

いつもは土曜日の午前中に私がキッチン、トイレ、風呂、廊下、和室の掃除をするのですが、昨日は息子に居間の掃除をさせようとしたところ、どうしても掃除の担当場所を変えて欲しいというので、私が居間を、それ以外を息子にやらせました。和室は元々大して散らかっていたり汚れていたりしていないので免除しました。毎週ではありませんが、息子は良く居間をきれいに掃除します。

大人の私でも結構大変な掃除ですが、私の指示通りやって、2時間できっちりと掃除を終えました。正直途中で投げ出すのではないかと思いました。良く最後までやってのけたと思います。

掃除はなかなか優れた教育手段の一つだと思っています。散らかす散らかさないは別として、きれいにさせるという行為は多くの気付きがあります。私は息子が散らかすことにはあまり多くのことは言いません。私もそうでしたし、小学生の男の子がキレイに部屋を使っていたら逆に気味が悪いくらい。そういう人が少しはいてもいいかもしれませんが、私は息子にそれは求めません。

キッチンやトイレ、風呂場の掃除では目を背けたくなるような汚いところの掃除もしますが、まさにそれが重要な事です。作り散らかす、入り散らかす。何故それがいけないのか、何故キレイに使うことを心掛けるのか。掃除を通じて自分で気付かせる、これは多分、昔ならごくありふれた日常だったのかも知れませんが、今となってはこれですら貴重な教育の一環です。

口でああでもない、こうでもないと文句ばかり言う人はいます。しかし文句で部屋はきれいになりません。実行するしかない、そういうことを教えたいのですが、幸いにして息子はそういうことは理解しているようです。

これからも日々、掃除を通じて色々学んでもらえたらと思います。

平成二十五年卯月朔日

不動庵 碧洲齋