不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

体罰について思ったこと

今、問題になっている体罰ですが、私やその周辺の体験を元に語りたいと思います。

私が小学校で殴られるなどの体罰を受けたのは小学校4年生の1学期。幸いにも2学期から転校したので、この1学期だけでした。この先生は新規採用の男性教師だったと思います。もしかしたら1.2年ぐらいは副担ぐらいはしていたかもしれません。

人間的に決して嫌な感じは受けませんでしたし、生徒たちから嫌われていたわけではなかったと言っておきます。私を含めた忘れ物などが多かった男児児童がよくびんたを食らいました。10歳になる前の少年にはものすごく怖かったように記憶しています。無論、自宅でも1年に1.2回ぐらいは親に叩かれたこともありましたが。ともあれ4年生のこの時期は学校に行くことはブルーな気分でした。まあ、転校後、別の問題「いじめ」にどっぷりはまりましたが(笑)。

このとき、先生が悪いとは思っていなかった気がします。何せ忘れ物が多い方が悪いのですから。単純に殴る以外に方法がないものかと思った程度だった気がします。また、道徳的に問題があって殴られたという子供はいなかったですね。それが現代と違うのでしょう。

2つ下の弟がいます。弟は元々病弱で、幼稚園などはよく休んでいたのですが、小学校に入り2年生になったときにやはり体罰の集中砲火を受けました。弟は2年生になってすぐに精神的な障害が出て、市立病院に1.2週間ほど本当に入院しました。子供心に怪我や病気でもないのになぜ病院に入院するのか不思議に思いましたが、今思えばそれが現代で取り上げられているうつ病のようなものだったのではないでしょうか。親がこの件でどのような対応をしたのかは聞きそびれました。親から聞いた話では相当ひどく叩かれたようです。私もその先生を何度か見ましたが、若い女性教師でしたが、確かに怖そうでした。

以後、弟は勉強が死ぬほど嫌いになりました。幸い、道を間違えることはなく、道徳的にも我が家の家名を損ねることはしない人間ではあります。他人のせいにするなとはよく言いますが、そのひどい女性教師が原因であったことは明白です。

中学校は市内はもとより近隣でも非常に有名なスポーツ優良校でした。3年間の在学中でもほぼ全ての運動部はほとんどいつも市内では優勝していたように思います。逆に吹奏楽部以外、運動部員ならぬ者は人にあらず、みたいな風潮でした。

教師らの体罰西部警察と見まごうほど。時折救急車で運ばれた生徒もいました。だから私の中学校にはいわゆる昭和の懐かしの不良というのがおらず、制服や髪型もバッチリでした。おかげでPTAもほぼ学校側に付いていて、生徒たちの怪我ぐらいは眼をつぶっていました。そのためどの高校でも非常に評判が良かったことに、中学3年生になってから知り、驚いたものでした。とはいえ、中学校3年間は真面目な生徒ではありましたが、戦々恐々としていたことが多かった気がします。

教師による体罰が良いか悪いかは分かりませんし、教師にも依ると思いますが、教師たちが生徒に対してかなり真剣だったことは間違いありません。まあ、中には前日ジャイアンツが試合に負けると二日酔いで教壇に立ち、暴言を吐いたり、意味の分からない暴力を振るった教師もいましたが、それを差し引いてもやはり教育熱心な教師の方が多かった気がします。(とはいえ、当時の先生たちはえてしてすごく左寄りで、当時戦争に興味を持っていた私にはそういう意味で苦しく思うことも多々ありましたが)

先生たちの責任だけに押しつける風潮には賛成しかねます。やはり学校教育と家庭教育の両輪在っての教育のような気がします。家庭で先生に対して敬意を持つこと、学校という場が錬成されるべき神聖な場であること、友人たちは互いに助け合い、信じ合うこと。こういうことを家で教えているのでしょうか?(奇しくも教育勅語に書かれていることと全く同じです・苦笑)私ははなはだ疑問です。確かに学校教育、学校における道徳教育の低下は間違いないと思います。しかしそれは家庭教育も同じ事。間違っても家庭での教育が高くなっているとはとてもとても思えません。低下している家庭教育の分を学校に押しつけようとはしていないでしょうか? 学校の先生も普通の人です。多分、各校に金八先生が数人いたってこういう問題は解決しにくいものだと思います。

子供には何を教えたらいいのか?分かりません。私だってまだ一人しか育てたことがありませんし、しかもまだたったの9年です。9年と言えば私の武芸歴ではやっと人様に教えることが許され始めた年ですが、要するにそんなレベルです。まずは忍耐力、ねばること、そして他人には寛容になること。神や仏の尊さ、畏敬の念を持つこと。命についていつも考えること。自分たちが住んでいるこの土地、この国について思いを巡らせること。私はそういうことになるべく息子を仕向けさせ、考えさせるようにしています。勉強とか運動とかいうのも重要ですが、それは可能な限り自発的にさせるよう心掛けています。神仏の御加護あって、少なくとも今までは息子は大過なく成長しています。

家で息子に手を挙げたことはありませんが、そういうことも奥の手として使う覚悟でいます。もしかしたら思春期にはそういうこともあるかも知れません。いや、こういう経験がない子供は不幸かも知れません。ただし親が最後の最後の手段、奥の手、伝家の宝刀として用いた場合のみです。頻繁に使うのが間違いなら、全く使わないのもまた間違いではないかと思った次第。私はやはり家庭での教育があっての学校教育だと思います。

とは言っても今回の事件について、事件を起こした教師を擁護するつもりはありません。やはり旧来のやり方に固執して、時代の流れを読めず、今の若者たちを知ることを怠った罪は大きいと言えます。教師は常に、学問のみならず子供たちの心についても観察を怠らず、時代の流れに沿った対応をすべきではなかったかと思います。

教育は国家の基です。日本という国は軍事力でもなく、政治力でもなく、経済力でもなく、教育力で保っている部分が大です。また、どの国でも教育に力を入れていて社会が乱れているという話は聞きません。日本が世界に冠たる道徳に優れた国であるにはやはり、家庭と学校と両輪の和になる教育が欠かせないと思うのでした。

平成二十五年正月九日

不動庵 碧洲齋