不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

とりとめもなく・・・

私は武神館というところで長らく武芸に親しんできています。

長いと言うだけで同門先輩後輩より熱心かと言えば恥じ入るところこれあり。

ともあれ、いつとはなしに一介の道場を開くことを許されるまでになりました。

正式に道場を開くことが許される段位を拝受したのは1995年ですが、道場開設を決めたのは息子が生まれた2003年、34歳の時。同門の外国人の中にはすぐに道場を開くツワモノもいますが、外国人はそういう度胸だけは多い人がいますね。良いかどうかは分かりませんが。

武芸の師は一人ですが、「師」と呼べるような人が幾人かいる人は幸せだと思います。

師とは行かなくとも人生における先輩であったりしても、これまたなかなか得がたいもの。

そういう意味においては私はかなり恵まれた方ではなかったかと思います。

これは謙遜でなしに、優れた師と先輩に恵まれているからこそ、今の自分があると思います。そういう類の人に恵まれていないのに凄腕の武芸者を何人か知っていますが、そういう人たちは間違いなく自分自身で優れているのだと思います。

40歳ぐらいから、そういう先達や先輩がポツポツ他界していきます。

私は入門時、道場ではその後10年ぐらいは最年少でしたので、先輩と呼ばれる方々とは20歳近く年が離れています。先輩方はまだ十分に健康であっても定年退職の年齢です。そもそも継続している先輩はたった2人しかいません。道場内で3番目に古い門弟になってしまいましたが、そういう事実に今でも時々軽い困惑を覚えることがあります。

武芸の師、禅の師、それ以外、親は二人ともとっくに他界しています。師の後に従える時間はもう長くはない、いや短い。

フェイスブックや日常でも気がつけば教えられるより教えねばならぬ事が多い。実際、重厚に何か言えるほど知識や経験があるわけでもなく、単に私は一人の武芸者だけであろうと努めてきていますが、最近では同門や他流で知らぬ者からも時々「先生」と呼ばれます。正直に言ってこれはウンザリするほど好きではありません。何度かそういう敬称は付けないで下さいと頼んでみましたが、止めない人の方が多い。繰り返しますが、謙譲なしに私は先生と呼ばれるほどエラくありません。私は本当に偉いと思える人を何人も知っています。

道場を開いたときは普通に自分の名前を冠したものにしていましたが、5年ほど過ぎた後に現在の「武神館 不動庵道場」と改号しました。私は不動明王信仰を持っていて、酉年というのもあるのですが、はじめて禅の手解きを受けた寺も不動明王を祭ってある禅寺だったというのもあります。自分の信念というか想いが名前になっているんでしょう、きっと。

積極的に人に指南しようと思わないからでしょうか、稽古場所にしても弟子にしても10年間流動的(苦笑)。なかなか公共施設では借りられないことが多く、借りられるところは交通の便がよくなかったり。

現在は地元草加市の総合体育館でマンツーマンでひっそりやってますが、どういう形態であってもやれればよいと思っています。

よい場所を確保できたり、弟子の数が増えるというのは時機が来たら、だと思っています。やたらに広告を出すべきではないし、しゃむに弟子を増やそうなどと思ったらロクなことがない。多すぎるよりは少なすぎる方がいい。増えるときは自然に増えます。増えすぎたら困りますが。

個人的にほんの少し願望があるとすれば、武芸が全く未経験の若者に手解きしてみたいと思うことがあります。若者の感性というものは磨けば磨くほど輝く。磨き甲斐があるというもの。ベストキッドみたいな感じとでも言うのでしょうか。私の師が私に手解きをしたとき、私は16歳でした。だから私もそのくらいの若者に指南してみたいとは思います。時機が至ればそういう出会いもあるかも知れませんね。

平成二十六年弥生二十四日

不動庵 碧洲齋