不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

東京大空襲

今日は東京大空襲があった日です。死者約10万人という数字は史上最大級の爆撃です。関東大震災を除くとこれだけ一度に人が死んだ記録は日本史の中ではなかったのではないかと思います。つまり自然災害を除けば東京大空襲が日本史で一番、日本人が大量虐殺された事件と言えます。

前にも書きましたが、母は4歳になる前にこの大空襲を経験しました。空襲は幾つかありましたが、米海軍艦載機の銃撃に幼い兄弟と祖母ともども弄ばれて、恐怖に陥れられたこともありました。パイロットは最後に手を振って笑いながら去って行ったそうですが、そうするとパイロットは母の家族をからかうために銃撃をしていたのでしょうか。これは後々まで記憶していました。ちなみにその前後に祖父がサイパン増援の途上で戦死しました。

祖母は58歳の時、ガンで亡くなりました。その少し前、祖母は母にノートと鉛筆、そしてアルファベットのテキストを買ってくるよう頼んだそうです。理由を聞くと、病床で毎日、何故戦争が起きて自分の夫が死んだのか考えてみたが、それは双方が理解していなかったから、話し合うことがなかったからではないかと結論づけたそうです。だから今から英語を学び、世界中の人たちと語れるようになれば戦争は減ると思ったそうです。その頃、母は自分の父を殺したアメリカが嫌いだったそうです。しかし祖母が他界した後、思うところがあり、私によく英語を学びなさいと言っていました。戦争を憎んでいましたが、母は私の海外の武友たちを心からよくもてなしていて、自分自身も英会話学校で英語を学んでいました。母も58歳で祖母と同じガンで他界しました。いつだったか、母が言った言葉があります。「私のお父さんはアメリカ軍ではなく戦争に殺された。」それを思い出して実感できるようになったのは自分に子供が出来てからでした。

色々な偶然が重なりましたが、今、私は世界中に友人がいて、武芸を通じてその友人たちに日本について多く、英語で紹介しています。友人の多くは日本に深い敬意を持ち、中には神社や寺で祈祷を受けたりしています。米国人と露国人の友人が祈祷を受けた神社などというのもあります。私自身、祖母の志を継いでいるとは思っていませんでしたが、振り返ってみると結果的にそうなっています。

ここ最近では、それが自分の使命のようにも感じるようになりました。

天命の歳には少し早く、それを理解したのならそれはそれで有難いことです。

息子は母が空襲を受けたのと同じ歳に、まさにサイパンに行き、1年近く生活していました。

息子にとって外国人と会うことは日常ですし、サイパン以外にもロシアに2回行きました。

彼にとって宇宙に行くと言うことは、私が子供の頃に描いていた海外に行くというのと同じなのかも知れません。

世代ごとで世界が広がっていく、というのであれば私の家系は間違いなく広がっています。

そういう広がり方は平和に貢献していると私は信じています。

先の大戦で落命した人たちの志はどんなものだったのでしょうか。

敵を憎み殲滅させることなのか、祖国の繁栄か、家族子孫が絶えないことか。

私はそういう方々に想いを馳せて、いつも息子に教え諭しています。

憎しみや怒りもたまにあります。しかしそれはたくさんあるスパイスの、ごく僅かでしかないのです。

根幹を成す想いが正しくあれば、子供は正しく育つのではないかと思っています。

・・・折を見て、この駄文は英訳してフェイスブックにも載せたいと考えています。・・・

平成二十六年弥生十日

不動庵 碧洲齋