不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

二つの特攻の物語

昨今、百田尚樹氏の「永遠の0」が高い評価を受けています。

私も映画を見に行きましたし、小説も2回、読み返しました。

あらゆる面で非常に優れた小説だと思います。

小説ではないのですが、これに匹敵する、特攻に関する物語を知っています。

「お父さんへの千羽鶴」 作者:ときたひろし

私の友人です。

子を持つお父さんで、これを泣かずに読める人がいたら一杯奢りたい、と思うほど素晴らしい作品です。何度読んでも泣けますし、息子に読み聞かせる時などは読む前から泣けます。

この絵本は私の人生の中でも5本の指に入る優れた書籍に入ります。

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この二つの物語には二つほど共通点があります。

一つは、どちらの主人公も小さな娘を持つお父さんです。

そしてもう一つ、どちらのお父さんも敵を「誰か」ではなく「何か」であることを識っていたことです。

敵はアメリカではありません。無能な上層部でもありません。貧弱な工業力でもありません。

そうではない部分に、敵がいると言うことを、読者に強く訴えています。

「お父さんへの千羽鶴」には「敵」という単語は出てきますが、一度たりとも「アメリカ」という単語が出てきません。敵はアメリカではないからだと思っています。

この頃よく想います。

人が生きるに当って、死ぬまで敵は確かにいます。

その敵はいつも追いすがり、隙あらば打ちのめそうとします。

問題は敵がいることではありません。

その「敵」をどう認識しているかです。

それは「人」なのか。

それは「国」なのか。

それは「行為」なのか。

それは「思想」なのか。

私の勝手な偏見と独断に基づいた発言です。不愉快に思ったらご容赦ください。

「敵」を「人」に求めている人は、とても卑しい人が多いように思います。

「敵」を「国」に求めている人は、とても愚かしい人が多いように思います。

「敵」を「行為・思想」に求める人は、真理を突いているように思います。

罪を憎んで人を憎まず、とよく言われますが、これはかなりの理想論だとしてもまさにそれです。

私は大して賢くなかったので、子を儲けた後に、それに気付きました。

父も母も今になって思えばそれは知っていたように思います。

どちらも戦前生まれです。実体験からそれを感じたのでしょう。

幸いにして10歳の息子は既にそれを知っています。

そういう子供が増えることが、今のところ限りなく空絵事に近い世界平和に現実味を持たせる方法ではないかと思っています。

息子が描く宇宙探査には敵がいません。

莫大な資金と超高度な科学力、優れた人材が、息子の夢には絶対に不可欠なのです。

そのためには敵とか言っているようなヒマはありません。そういう余計なものが差し挟まれないほどに、彼の夢は熱を帯び高いのです。

親バカの自分としては息子の夢はぜひとも実現させてやりたい。大人のエゴや愚かさのあまりに子供たちの夢を潰えさせたくない。

大人が何千万人でも死んでよい理由は、次世代の子供たちを生かすため、夢を実現させるためです。その覚悟がない親がいたら、今すぐ親を辞めてください。最近はそういう覚悟がない親が多いようにも感じます。子供のためには自分の命をサクッと投げ出せるぐらいの気持ちであるべきだと私は信じています。

ま、随分偉そうに言ってしまいましたが、どこぞの国のように、いつまでたっても「国」や「人」に敵の幻影を見ている限り、品格を持てません。日本民族は滅びることがあっても、その瞬間まで高貴でありたいと思っています。

平成二十六年弥生十日

不動庵 碧洲齋