不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

延命十句観音経

お経というと意味不明で長くてなかなか覚えにくい、と思われがちですが、実は中には非常に短いお経もあったりします。 一番有名なのが般若心経。300文字程度にまとめられたお経ですが、仏教を代表したお経と言っても良いでしょう。 まあ、それでも少々長いというのであれば、これがお勧め。 「延命十句観音経」 全部でたったの42文字。 観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄 朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心 観音様のお経です。 私も朝の読経の時に併せて読んでいます。 私の師曰く「常楽我浄」がこのお経の要だと言っていました。 師匠が訳したものがあるので、ご紹介します。 観世音 観音菩薩無仏 すべてを観音菩薩にお任せいたします。 南無・・帰命。命を帰す。この小さな命をお返しします。 与仏有因 与仏有縁 私たちも仏と同じ境地に到る,因と縁をもっています。 すでに仏と同じ安らぎの縁の中にあります。 仏法僧縁 仏法僧の三宝とも縁で結ばれています。 仏,仏の教え,仏教徒の集まりが三宝常楽我浄 永遠で,平安(安楽)なる,不滅の主体,浄らかなる観世音菩薩よ ・・本来仏教は諸行無常を説く。諸行無常とは「すべてのものは移ろいゆく」という意味。 それがここでは無常ではなく「常」,永遠を説く。 移りゆく世界の中に永遠を見る大乗仏教の精神である。この「はかない」己が「永遠」と深くつながっている。 ・・この世は娑婆世界(苦しみの世界)というのが仏教の教え。その苦しみのど真ん中に平安を観じる心。 ・・無我(我は存在しない)を説くのが仏教。ここでの「我」は,小我に対する「大我」。この小さな,いつか消えゆく自己が「大いなる命」と一つながりであるという大乗の教え。 ・・この世界を穢土(穢れた世界)と観じる仏教。「厭離穢土,欣求浄土」から「穢土即浄土」と観じる心。この穢れた,争いの絶えない,醜い世界をそのまま浄土と観じる。 朝念観世音 暮念観世音 朝に暮れに観世音菩薩を念ぜよ 念念従心 観世音菩薩は,私たちの一念の中にいらっしゃいます 「念」とは「今の心」。過去はすべて今の自分に収斂している。未来は今の積み重ねの末に来る。大切な「今・今・今」 出来上がりの善し悪しを観音は問わない。今をきちんと生きる事が「悟り」である。あれこれ追い求めてばかりで,今を疎かにする生き方が「迷い」である。 「今」の一念が,自己の心の中の観音菩薩の現れ。 念念不離心 観世音菩薩は,私たちの一念一念の,この心を離れずにいらっしゃいます このまま観音菩薩と一心同体の自分。 この心身はいちいち,「あれしようこれしよう」と思わなくても無心に働いている。それがこの心身の観音菩薩の様子。 かの白隠禅師もこのお経を薦めていますね。 お経を読むと確かに心が落ち着きます。写経も同じ効果があります。 よかったら是非お試しください。
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平成二十六年弥生十日 不動庵 碧洲齋