不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

敬称は好きではない

昨日は通常通り稽古のために柏市まで行きました。

通常通りでないのは現在師が膝の故障のために入院していて、先輩弟子の指導だったという事。

稽古前に先輩は先生が入院している病院に行ったそうですが、あっけないほど簡単な手術だったとのこと。手術は一昨日でしたが、昨日の朝からはもう歩けるとかで、本日の診断次第では退院して、後はリハビリだけだとか。

膝の半月板が破損していて、破損した断片が筋や関節を痛めていたとのこと。その状態でマッサージをしていたのですから、やはり年齢相応になったらちゃんと定期検診は受けた方が良いと思いました。ここ数年続いていた膝の痛みなどはなくなったそうです。いずれにせよ大事に至らず安心しました。

普通に生きていれば師が先に他界するものですが、両親同様にそういう日が来ると言うことがなかなか実感できません。そういうものなのかも知れません。

フェイスブックに師の状況をアップしましたが、8時間で60人以上の人からlike(イイネ)やコメントを頂きました。もちろん9割以上は海外からです。師の人望の深さにはいつもながら頭が下がります。

何か事を進めるに当って、人徳というか人望というのは非常に大きな条件になります。若い頃はそれほどではないと思いますが、たぶん30代ぐらいからは重要になってくるのではないでしょうか。故に三十にして立つ、四十にして惑わず、というのはあながち外れでもありません。

四十半ばでこの程度の器とは何とも情けないとも思いますが、そろそろ器を広げることよりも今ある器をフル活用することも念頭に置かないと、あらぬ失敗ばかりしてしまうようにも思います。まあ、器を広げるのは若いときだけとは限りませんが。

そんなことを言いながら、実は私は結構臆病なところがあり、敬称を付けられるのがあまり好きではありません。直接師弟関係がない人から「先生」と呼ばれるのはあまり好みません。海外の同門や他流の武友がたからよく「先生」を付けられますが、この人たちは何度言っても止めてくれません。彼らは礼儀正しくありたいと思っているようですが、私は師弟関係以外で「先生」を使われるほどエラくないですから!そういう先生は私の先生や宗家などです。

先日などはたかが友人申請で「Sir」を使われました。正直参りました。しかも共通の友人が4.5人もいるのですからそんなもの付けなくても承認します。私如きがSirなら、サルやゴリラにも付けねばなりません(笑)。時が来て自然に受け入れられるような年齢になればいいのですが、どんなに早くても後10数年はそういうのはありません、たぶん。

とはいえ、年齢相応にせねばならぬこと是あり。段位なども欲しくなくとも門下の秩序のためにある程度はもらわねばならぬ場合もありと昨日の稽古後に先輩からのお言葉。いつも逃げ回っているようでは示しが付かないと間接的に言われました(苦笑)。個人的にはフリーな立場でいたいとは思いつつ、身軽さはある意味年齢相応になったら無責任と取られかねないとも思います。

何とも肩の凝る世の中ですが、ここをどう巧くすり抜けていくか、腕の見せ所のような気もします。

平成二十五年神無月三日

不動庵 碧洲齋