不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

皇紀2673年に寄せて

本日は建国2673年と言うことになっています。

今から2673年前の旧暦1月1日に、初代神武天皇畝傍山の前にある橿原神宮にて戴冠式を行った、と言われています。

爾来、我が国は皇統125代に及び今に至っています。

日本は世界の中では先進国として新参者です。

しかし先進国の中では桁違いに歴史と伝統のある国です。

唯一のアジア国家です。

唯一の非キリスト教圏です。

正直なところ、最初の10代ぐらいは歴史学的に実在の確認が取れていません。

神武天皇が在位していたというのは、歴史好きの人なら分かると思いますが、いわゆる伝説神話の話しです。

残念ながら日本は中国ほど古くから文字の記録はありませんでした。

そういう意味では中国の記録マニアぶりには今の状況抜きにして敬意を表します。

皇統に限った話しではありませんが、人は誰も木の股から生まれてきたわけではありません。

神武天皇という固有の人間はいなかったにしても、そういうことをした人は間違いなく存在しています。

これは歴史学ではなく、生物学的に当たり前の話しです。

ただ日本の場合は古すぎて言い伝えだけではよく分からないというところです。

建国記念日にいつも想います。

どうして日本の真のファーストエンペラーは「我こそ日本の礎を創りし者なり!」と声高に言わなかったのでしょうか?

秦の始皇帝はそうしました。

始皇帝は最近、評価が見直されてきて、悪政よりも良い方に脚光が浴びるようになってきました。

良いことです。嫌みではありませんが、あの中国人を最初にまとめ上げたというのはなかなかの偉業だと思うのです(苦笑)。

自分が一番という偉業を宣言するのは気持ちいいことではないかと想像します。

実在した10代頃からの天皇の誰かだったのかも知れませんが、最初の天皇はそれをしませんでした。

その辺り、日本人の奥ゆかしさや謙譲の美徳、そして何より先祖を敬う気持ち、ご先祖様のおかげ、という考えが、伝説のファーストエンペラー神武天皇を生んだのではないかと思っています。

この頃にはすでに、日本人という精神の礎はできていたと私は思います。

実在する可能性の低さを私は嘆きません。

私は神武天皇の神話が創られた想いに馳せるとき、日本人で良かったとつくづく思うのです。

そして以後、天皇は伝説の始祖からカウントし、今上陛下は第125代と堂々と名乗っています。

凄いことじゃないでしょうか?伝説の時代からカウントされている帝王を頂く国なんて。

しかもカビの生えた国ではないですよ。

世界の最先端科学に立って、しかも西洋諸国から侍の国としてあこがれを抱かれている国。

70年近く「戦死者」という死者を出していないのに、多くの国民が武道なる芸事に汗水流しています。

よその国からしたらやはり神秘的に映るんでしょう。

日本という国を開拓してまとめ上げたであろう、先人達はどんなことを考えてそんな事をしたのか。

台風は多いし、地震も多い、火山も多い。とてもとても安全に暮らせる土地とは言い難いはずですが、それでもこの東アジアのどん詰まりに人が集まり暮らし始めました。危険があってもこの風土の美しさに惹かれたのでしょうか。物好きだったんでしょうか。間違いなく、この土地を愛したからこその神武天皇の存在だと、私は考えています。

日本を開拓した志のありかに思いを馳せた方がいらっしゃいます。

明治大帝です。それは教育勅語にしたためられています。

我が家の床の間にも、父の実家から頂いた、教育勅語が掛けられています。

明治大帝は見事なほどに昔々、伝説の時代にどうして物好き連中がこんな国を拓いて発展させようとしたのか、描いています。

教育勅語は原文と訳文を書くと長くなるのでネットで調べてみてください。

昨日、息子と靖国神社に行ってきました。

祈っている人たちは老いも若きも、よその神社では見られない思い詰めた、真剣な祈りでした。

この国を守るべく、先祖達のご加護を希っています。

これある内は、いくら平和の内にあって怠惰になっていようとも、我が国に仇なす国には決して負けません。

これが日本人の在り方だと思った次第です。

皇紀二千六百七十三年癸巳旧暦正月元旦 建国記念日

不動庵 碧洲齋