最近の日中関係は国交回復して以来、最悪の状況になりつつあります。
むろん、一日本人として非は明らかに中国側にあることは確信していますし、多くの国も日本が正しいことは理解しています。
そして残念なことに、中国では物質的な豊かさに目がくらんだごく一部の富裕層がそれを正しく認識していません。
中国には「衣食足りて礼節を知る」という、2000年以上前からある、大変有意義な諺があるにもかかわらず、真っ先にそれを無視しているように思います。
旧約聖書に以下の4つの言葉があります。
少々イジワルに言えば、今のユダヤ人達にも当てつけたいところですが、この四つの言葉は日中両方の国民の胸に刻んで欲しいところです。
武具を帯びる者は、それを脱ぐ者のように誇ってはならない。
列王紀上 20-11
愚者は、すぐに怒りを表す、しかし賢者は、辱めをも気にしない。
箴言 12-16
剣を以って刺すように、みだりに言葉を出す者がある、しかし知恵ある人の舌は人を癒す。
箴言12-18
怒り易い者は愚かな事を行い、賢い者は忍耐強い。
箴言14-17
私は武人ですから、国難にあって剣を執るにやぶさかではありませんが、同じぐらい剣を執らねばならなくなる状況に追い込まれるまでの怠慢も厳しく戒めたいところです。
私も中国の非は厳しく批判しますが、やはり相手を憎めば憎まれるもの。礼節と忍耐を以てなお相手に非があればこその正義というものです。正義の剣はとても重い。「思い」と言い換えても良いかも知れません。重さに絶えかねふらつく剣で周囲を傷付ける者が時折います。故になればこそ、振り下ろす際には細心の注意を払いたいところ。日本人にはそれができると信じています。
春節に当たって、昨年来日した中国人研修生の若者からメールが来ました。
一言、「新年明けましておめでとうございます。」でしたが、私は以下のように返信しました。
「○さん
明けましておめでとうございます。
今年は日中関係がよりよくなるといいですね。
そのためには私たち一人一人がよりよい関係を持ち続けることだと思っています。
○さんも日本に住んだ経験を友達に話して、日本人がどんなことを考え行動するのか理解してもらうといいかもしれませんね。
では旧正月はゆっくり休んで、休み明けはまた、会社でがんばってください。
また、休みの間はご両親には十分孝行を尽くしてください。
ではまた」
私は草の根の運動というものを信じています。日本人が持っている陰徳の高さも信じています。自衛隊の軍事力にもなかなかの信頼を置いていますが、日本人の威徳を以て周辺国を感化する力があると、結構真剣に信じています。まあ、世界で反日国家というのが、日本から一番近い順にあるというのは何とも皮肉ですが、それでも私は日本人の武力に依らない部分の力を信じています。平和を信じている国民として、そうせねばならぬと思うのです。その上でやむなく剣を執ることには全くためらいはないつもりです。
ネット上では気分が悪くなるような罵詈雑言、品位を疑いたくなるような罵倒などがあまた悲しいほどに氾濫しています。
ハッキリ言ってそんなところから決して平和という花は咲きません。
日本人の誇り、伝統、歴史、文化、それらを貶めるような言動は厳に慎み、剣を構える者すら膝を着かせる民族でありたいといつも願っています。
平和というのは世界のどこでも戦争をしていないと言うだけではなく、銃を向けてもなく、戦争の準備もしていないことを指します。だから世界のどこかの国は「安全」であっても、「平和」ではないのです。
つまり平和は絵に描いた餅のようなものですが、さりとて求めねばならぬものでもあります。
平和の希求を放棄したら、それは多分、人間をやめることになるのではないかと思います。
身近に言えば、息子の夢である宇宙開拓などにも到底及ばなくなります。
小は息子の夢を守るため、大は絵に描いた餅、平和を求めるため、私は武芸をしているようにも感じることが、多々あります。
どんな小さなメッセージでも構いません、理解されるかどうかは別として、まずは中国や韓国の一草民と通じ合う努力も必要ではないかと思います。言葉上の憎しみはすぐ、妄想憎念を増大させます。
英知にあふれ、少なからぬ陰徳がある日本人にそれが分からぬはずはないと、願ってやみません。
平成二十五年如月十日
不動庵 碧洲齋