昨日は息子と二人で靖国神社に行きました。
夕刻、妻と六本木にて合流するまで神社を参拝して、博物館を見て回ろうという予定でした。
私は年に1、2回息子を連れて靖国神社に行きます。
息子にはこの祖国のために血を流し命を落としていった人たちの声ならぬ声を聴かせたいといつも願っています。
むろん、戦争のむごさ、戦争の美談を廃し、戦争を排除する真剣な行為こそ、人間としてもっとも崇高な使命であると共に、一旦急あれば、一身を擲つ覚悟を持たせるという矛盾した事を教えています。
骨董市に立ち寄りました。
昔のものに触れることはいいことです。
息子も興味深そうに見て回り、寛永通宝を1枚買いました。
それから参拝。
やはり靖国神社は他の神社とは違います。息子も神妙になります。
参拝客もある意味、凄惨なほどに深刻で切羽詰まったというか、そんな表情の人が多かったように思います。
そして胸が痛んだのは、参拝者達の年齢層。昔見た、高齢者の参拝者達、ではなく私と同じかそれよりも若い世代が半分以上いたということ。
戦後半世紀以上続いた安寧はもはやぶち壊されたという体でしょうか。
息子は参拝の順列に並んでいる間、手にした五円玉を見つめていましたが、やがてごそごそと自分の財布を開き、50円玉と交換しました。
「え?50円にするのか?」
「うん、その方が御利益があると思うから。」
この時もちょっと泣きそうになりました。
心の中で息子に謝りました。
9歳の子供すら、日本が危機的状況にあり、戦争の気配さえあることをひしひしと感じているのです。
父が10歳の時に戦争が終わりました。
なのに私が43歳になった今、その平和が脆くも崩れる危機に瀕しています。
誰のせい?
バブルのせいでも、尖閣諸島のせいでも、竹島のせいでも、北方領土のせいでもありません。
私たち大人のせいです。
中国人や朝鮮人、ロシア人のせいではありません。
軍事力を否定するなら、どうしてもっと、明治時代に数倍する外交テクニックを駆使しなかったのか?
どうしてもっと、堅牢な経済構造を構築できなかったのか?
どうしてもっともっと人徳あり賢明な政治家を育てられなかったのか。
それらが一つ二つあれば、こんな状況にはならなかった。
しかし人生の2/3は外国人との交流を持ち、今も貿易業をしている自分からすれば、そういう戯言はゲーム機の世界レベルでしかありません。幼稚です。完全にお馬鹿です。
戦争しても日米のみならず、韓国なども協力したら、中国軍などは割にたやすく撃破できます。
スペースデブリはご存じでしょうか?地球軌道上に散乱するごみです。
邪魔だから地上からミサイルで撃破してみては?と思うかも知れませんが、それを撃破するともっと細かいデブリが散乱します。
今の戦争もそんなようなものです。
中国を撃破したら?少なく見積もっても13億の、しかも少々問題が多い民族が路頭に迷います。誰が責任を取るんですか?世界中に散らばりますよ?今でも聖書のエクソダスみたいに逃げ出している連中が多いんですから。戦争で国が崩壊して日本にもやってきたら、治安維持や防衛に今の数倍の予算をつぎ込んでなお、住みにくい社会になることは明白です。また、その人達の購買意欲に支えられている世界中の企業の従業員にも被害が及びます。
貿易の世界からしたら、大きな一国がゲームの世界のように消滅して安泰になるなんて事はあり得ません。
子供を一人二人持ってみなさい。(もしまだ持っていなかったら)
さあ支那と戦争だ、なんて粋がる親がいたらそいつは親の皮を被った糞餓鬼です。
(言葉が悪くてスミマセン)
その上で、差し引きならぬ、どうしても一戦交えねばならぬ時は、多分私は日本も関連国も中国と戦うことにためらいはないとは思いますが、経済的には最大限甘く見ても今よりもずっと悪くなります。(多分、しばらくの間で、それから急激に良くなるかも知れませんが)戦争とは言わず、ちょっとした紛争でも同じ事。ちょっとした紛争があったら、私の勤めている会社はつぶれます。部品製造をしている関連企業も数社はつぶれます。少なく見積もっても500人とかでしょうか。家族はその数倍。どうですか?
もちろん、抜き差しならぬ事態になったら、私はそれでも戦いを支持します。多分そういう可能性はかなり高いと思います。
しかしそうならないように最大限の努力をすべく、今の内閣を良く支持し、戦争を回避ししかも日本の立場をより強化して欲しいと願っています。
長くなったので、分けます。
平成二十五年如月十一日
不動庵 碧洲齋