不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

腑に落ちた本

本格的に坐禅をするようになった2007年頃から読書量がめっきり減りました。それまでは月に少なくとも10冊前後は買って読んできた気がしますし、家には3000冊以上の蔵書もありました。2009年頃には100冊前後を除いて全部処分してしまったのですが、その時の爽快感たるや、ものを持たないことの素晴らしさを実感したものでした。

勿論読んできた本たちはみな、間違いなく私の肥やしになっています。残した本の大半は仏教関係か中国史、歴史関係のコアな本ばかりです。

以後5.6年は読書量がかなり減りました。月に1冊読むか読まないか。読んでも少なくなった蔵書を読み返す程度。しかしここにきてまた書店に立ち寄ることが増えてきました。1.2年のことでしょうか。まあ、それでも月に買う書籍の数は5冊あるかないかです。

本格的に禅をするようになってからは書店に立ち寄っても見方が大幅に変わった気がします。

本はそれぞれ真剣に書いた人がいて、本当に売れると思って出版した出版社の方々がいて、書店もそれに関わっているわけですから、十把一絡げに総評してはいけませんが、心に響く書籍というものがそう滅多に無いのは間違いなく。昔みたいにむやみやたらに知識を求めなくなりました。

久し振りに大変素晴らしいと思った本を買いました。これです。

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アルボムッレ・スマナサーラ師の書籍は今までに2.3買ったことがあり、それらも素晴らしいものでしたが今回は珍しく私の腑に深く落ちた本でした。

Wikiの引用によると「アルボムッレ・スマナサーラスリランカ出身の僧侶[4]。スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老であり、スリランカ上座仏教シャム派の日本大サンガ主任長老、日本テーラワーダ仏教協会長老、スリランカ・キリタラマヤ精舎住職。日本において仏教伝道、および瞑想指導を行う。『怒らないこと』(サンガ新書)など多数の著書がある。仏教とは今この場で役に立ち、自ら実践し理解する智慧の教えであると説く。」だそうです。

この本を読んで自分の蒙が啓かされた気がします。

この本は多分、日本人向けに書かれたものだと思いますが、どうして実行に移せないのか、継続できないのか、という問題はもとより、その心の分析まで徹底して解剖し説明を加えています。しかも更にどうして欧米人のような思考形態が良くないのか、これは完全に納得です。

恥をさらすようですが20台の半ば頃だったか、欧米で良くあるような「強い欲望を持てば成功する/実現する」のようないわゆる成功哲学プログラムを買ったことがあります。結局は5年もしないうちに埃まみれになりました。ま、それで成功した人もいるようですから無碍に否定すべきものではないのでしょうけど、私には強い違和感を覚えました。坐禅を本格的に始めるほんの少し前にはやはりネットビジネスに手を出しましたが、これもまた何か強い違和感を覚えたものでした。どちらも精神的に追い詰められたりかなり弱っていたときでしたが、多分人はそんな折にはアブラギッシュなスタミナオーラを撒き散らすものに魅力を感じるのでしょう。この2つはできたら記憶から消し去りたいほどですが、それを差し引いても禅を始めるに当ってなかなか希有な師匠に出逢えることができたことは、自分がその道に在っては間違いないと思ったものです。武道でも然り。師匠においては大抵は恵まれていると感じます。

今は禅の教えに傾倒してますので多分こういう間違いは今後は起きないと思いますが、悪意ある人からは精神的に参っていたときだったにも拘わらず、この失敗を何年もネチネチと口撃されて閉口させられました。ま、今となっては良い稽古でした。

欧米式の成功哲学の何がどう悪いのか、スマナサーラ師はバッサリ斬り捨てていますが、完全に納得です。驚きました。

精力的に何かを継続させるという点においては日頃から何かと競合することが多い妻には完全脱帽です。努力して継続するという点では本当に尊敬できます。・・・翻って私の場合は武芸でもそうですがどうやったら楽に近道でそこにたどり着けるのか考えます。ダメですね(笑)。そういう心理と改善方法もこの本には載っていますが、私的には全部腑に落ちました。

人によって腑に落ちる本は違うのでしょうけど、逆に言えば腑に落ちる本は何度でも繰り返し読みたいものです。中国哲学などはかれこれ30年ぐらいの付き合いになりますが、例えば孫子などは多分もう100回以上は軽く読んでいると思います。そういう本に多く出逢えることができれば心も引いては生活も豊かになると思っています。

これから折を見てスマナサーラ師の著書をまた買ってみようと思います。

平成二十七年臘月二十八日

不動庵 碧洲齋