不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

日本と米国に想うこと

昨日、米国の友人からメッセージを頂きました。

彼女は米国人と結婚して現地で出産しました。

勝手に赤ん坊に触るわ、事前に赤ん坊が行くことを告げていたのにデカい犬は放置しておくわで少々苛立ち、日米間のこのような交流の違いについて考えさせられたそうです。

私が留学して最初にぶつかった問題を今でも思い出します。

最初は寮に住んでいました。で、隣は黒人学生でしたが毎晩馬鹿デカイ、大音量のラップを流していました。もともと壁が薄いのでそれはもう大迷惑です。

とはいえ何か苦情を言ったら逆にケンカでも売られかねないと汲々としていました。ケンカで勝つ自信は十分ありましたが、何せ異国ですし隣人ですからあまり得策ではありません。

で、ある日どうにも我慢ならずに苦情を言いに行ったところ・・・

彼は理工学系の学生で博士号を取ろうと努力していたようでした。

私の苦情に対して彼はこっちが恐縮するぐらいに謝り、大音量を流すときはヘッドフォンを使うと約束してくれました。

知的でおとなしい「とてもいい人」でした。

ショックを受けたのはそのことではありません。

何が一番ショックだったのかというと、日本では(いや世界のどこでもそうだと思いますが)「言わないと分からない」こと。博士号まで狙っている学生が、大音量を流すことによる、他人への迷惑という視点が完全に欠如していた点。ぶったまげました。アメリカ全般、欧州の多くでも比較的こんな感じです。

元々日本では日本人離れして自己主張が強かったことが幸いして、積極的に自己主張をするようになりましたが、既に留学1週間目にしてアメリカ人への評価はがた落ちでした。

「言わずとも分かる」VS「言わないと分からない」

どちらが良いとか言うつもりはありませんが、今世界では日本のものの考え方が大変エコで人に優しいことが分かってきています。「おもてなし」の心とか言われているものかもしれません。

「言わずとも分かる」ことをあいてが「理解したとき」、私が知る限りほとんどの外国人は大変感銘を受け日本人のものの考え方に平伏します。

世界的に主張はしないし、争いは金とかで解決しがちと思われがちな日本ですが、日本は間違いなく世界的に見て平和な国です。これは国と言うより民族的な指向です。

日本人が誤解していることがあります。もしかしたら多くのアメリカ人も顕在的には意識していないのかも知れません。でも私は潜在的には次のように考えているのではないかと思うことがあります。

アメリカは建国してから239年しか経っていません。そして現在のような経済や軍事における大国の地位となったのは第1次世界大戦頃から、つまり100年ほど前からです。240年に足らない国家で100年は大変長い。世界の覇者たる地位である時間が国史の4割にもなろうものなら、国民や国史感もそんな風になってきます。日本の歴史は2600年にも及びます。ここ100年200年のことは実は「ごく最近のこと」にしか過ぎません。この悠久の流れの中に身を任せているからこそ、私たち日本人は世界に冠たる日本人であるわけです。ま、最近ではどうしょもないのが増えてきましたが。

アメリカ人の悪い意味での大国意識は今に至っても至る所にそれが出ています。

米国に住むに当って一番辟易させられるのは「度量衡の不一致」。今や世界では重量キログラム、距離キログラムが当たり前ですが、世界のほとんどの国では準拠しているのに米国だけはいまだに替えようとしません。恐るべき頑固さです。

銃器、今や世界のほとんどの先進国や中堅国では一般市民の武器の所有は禁じられています。スイスのような国ではそうではありませんし、緩い国もありますが、大抵の国では禁止されています。幼児が幼児を事故で銃殺してしまっても世論は武器保有を支持します。武器に対する執着が異常のように思います。これが米国を軍事大国せしめている理由ではないかと思います。

歴史も浅く、文化や伝統も短い米国の人たちが歴史の長さでざっと10倍、文化や伝統といったものでアメリカを圧倒する日本に憧れを抱く。そう思いがちです。

私は少し前から違うように思えてきています。

日本はこれだけ長大な歴史や固有の文化がありながら、明治はもとより戦後でも柔軟に欧米のものの考え方を受け入れてきている。

一方アメリカは100年前から帝国主義的な考え方を固守しつづけてきている。離れられない。

実は自由な発想、柔軟な考えというのは日本の方で、頭が固いのはアメリカ人じゃないかと思っています。

かつてマッカーサーは日本の国家的な精神年齢は歳とか言ったらしいですが笑止。

年期を経ていないと見えないものがある。古い国でないと見いだせない価値観や行動規範がある。アメリカにはそれがまだ見えていない。

確かに日本の社会は非合理的で効率も悪く、改善しないことにはどうしようもないところも多くありますが、逆に言うなら限りなく理想的な国家などこの世のどこにもない。どこの国もそれなりに深刻な問題を抱えている。発展途上国からしてみれば日本の悩みなどは贅沢すぎる悩みかも知れない。

アメリカ人とは全く違う価値観、勝負を戦場の外に置く考え、善悪よりも和を尊ぶ指向性、私たち日本人はこれを身を以て示すべきだと思っています。その実、アジアであるはずの日本がいち早く欧米を受け入れしかも大成功を収めている、この事実にアメリカ人たちは日本人の柔軟さと優秀さを見出しているのかも知れません。

ここ10年前後ですが、欧米人の日本人に対する評価が大幅に変わってきた感があります。特定の分野、例えば禅や伝統芸道、芸術といったものから日本人の持つ普遍的なものの考え方に注意が進んだ気がします。これは戦後の日本人たちが積んできた陰徳だと思っていますが、今に活きる私たちはその陰徳を貪ることなく、更に積み重ねていかねばならないと思います。

色々書いてしまいましたが、留学に関して言えばアメリカはいまだに世界屈指の留学生受け入れ国であることは間違いありません。教育の力というのはやはりそのくらい強い力を持っているものだとも再認識させられます。もしアメリカ人が平家物語の冒頭を心で理解できたら、もう少し変わるのにと思うことが良くあります。

・・・と、レイアウトを変えた机と椅子から初めて書いたブログでした(笑)

平成二十七年霜月二十九日

不動庵 碧洲齋