不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

子供の教育について愚痴

子供は富士山のように雄大に育てたいものです・・・

画像

少し愚痴です。

私は学歴というものは「自分で取るべきもの」であって、「親が取らせるもの」ではなく「親が取らせるよう仕向けるもの」でもなく。あった方がいいと思いますが、よいかどうかは自分で気付くべきもの。幼稚園からエリートコースというのはゾッとします。私立小学校、私立中学校などに入学するのは本人の希望があった場合、親の予算に合わせてだと思います。そもそも私立の方がいい教育が受けられるとか言われますが、世界的に見ればどんないい学校を出ても学んだことを十全に活かせないと全然意味が無い。

「私のごく近いとある知り合い」は救いようのない学歴主義で辟易させられています。

いい学校を出た人が漏れなくいい会社に勤めていい給料を貰ってみんな幸せになっているなら親としては一生懸命にならざるを得ませんが、もちろんそんなこともなく。そもそも幸せの価値観と稼ぎがどれ程リンクするのか怪しいものですし、学歴と幸福度もどれ程リンクしているのか。

その人は一時期、韓国式の英才教育をエラく褒めちぎっていましたが私は単に気持ち悪かった。あれはまともな人がやるべきものじゃない。家が大変裕福で湯水のようにお金を投じることができる家庭はそれなりに、できないならできないなりに方法があります。

私の父はなかなか裕福な家庭に生まれて大学にも行ける学力も環境もありましたが、高校を出た後、何を考えてか当時創設されたばかりの「自衛隊」に入隊し、その後普通の企業に勤めました。母に到っては高校にも行けない貧しい家庭でしたが、その後料理専門学校は行ったそうです。目指すものは高学歴ではなく、「何をしたいのか」。私が息子にしてやれるのは「何をしたいのか」ハッキリさせてやることを手伝うだけ。いい学校に行けとか、いい企業に勤めろとか、そういう愚かなことは言わない。息子は宇宙に興味があります。でも私はJAXAに勤めろとか言うつもりはありません。留学はした方がいいとは言いますが、別に本人が自分なりに道を見つけるのならそれでもいいと思います。私は息子の道を信じます。

勉強をしろ、というのは子供を信頼してないから。やりたいことがハッキリすれば自ずから努力します。やりたいことをハッキリさせず、とりあえず何でもオールマイティーにどこにでも滑り込ませられるように勉強だけはしていおけというのは私的には親の怠慢のように思います。見つかってから努力してもいい。

何だか分からないまま、親に言われるがままがむしゃらに強制させられて、大きくなって金メダルを取って結果よかったねという話しがありますが、これはたまたまであって、教育の正道ではありません。親のエゴで子を育てるなどと言うのは言語道断。キビシク育てるのと親の望むように育てるのは全く別です。

ちなみに「地球上の生物として優秀である」ためにはよい配偶者を迎えてなるべくたくさんの子を作って育てる。そして自らは社会に貢献して人類社会はもとより、地球全体をよくするために働くことが、普遍的な意味で「善い生き方」です。これ以外はありません。強いて言えば人類がいなくなると地球はもっと安泰なのは間違いないのですが、もしかしたら昨今の人類の活動を見ていると地球のために自ら浄化されようとしている本能が働いているんじゃないかとさえ思います。ともあれそういうごくごく本質的な大局的なところを見直して、子供の教育に励みたいところです。

平成二十七年霜月二十六日

不動庵 碧洲齋