不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

持てるほど 溢れ広がる 不満かな

不平不満は私を含めて誰にでもありますが、やはり理不尽だと思う不平不満は大抵、より多く持っている人からの方が多い気がします。普通考えれば、最小限のものしか持たない人はより本質的な障害にのみ目がいきますから当たり前の話しですが。

幸い私は今まで行った国のほぼ全部が先進国ないし中堅国で、生活レベルにさして問題のない国ばかりでした。しかしそれでも日本と比べると日本の物質的な豊かさたるや、圧倒的である場合が多く。エコだなんだと言っても日本はまだまだ浪費というのか過剰というのか、そんな気がします。いわんや発展途上国だったらもっともっと本質的な苦悩について不満があることでしょうが、意外に発展途上国の人々の方があっけらかんとしているのを見かけます。そんなものかも知れません。日本人が慎ましい生活に戻るのはむずかしいでしょう。豊かな国になって既に半世紀近くになります。心の豊かさが全く追いついていないことは間違いないようです。

私は長年、家で8畳程度の部屋を使ってきましたが、一時期地方で勤務の折に6畳間で暮らしても十分な気がしました。松本零士の影響か、4畳半という広さも郷愁をそそります。もしかしたら歌にもある3畳でも十分なのかも知れません。問題なのは部屋の広さよりも部屋を十全に使いこなしているかどうかということだと思うのです。

ある知り合いがいるのですが、その人は3LDKの一戸建てにおいて2部屋の8畳間を占有し、内一部屋には3畳の納戸があり、かつ残りの一部屋も半分自由に使っていて、それでいて家族に対して不平不満が絶えずストレスがたまると言う事です。というか他の家族はどうやって暮らしているんでしょうか。何度かその専有した部屋を拝見したことがありますが、それはもうちょっととても「十全に活かしている」というよりは普通のゴミ屋敷です。良く家族が放置しておけるものだと感心しきりです。

たくさんの物持ちで、常識ではあり得ない程広い面積を専有し、家族には不平不満皮肉愚痴ケチ、だめ押しなどをぶちまけているのを見ていると人の無情さを感じます。あると思っている自分を固守するべく、自己の権利をゴリゴリと家族に押しつけている感じがします。時折、その非を何気に注意しますが見えてない、聞こえてない人に何をか言っても分かるはずもなく。自分が正しいと確信している人ほど狂気だと言います。国も同じです。私なんかやっていることに自信を持とうと思っているだけで、確信なんか滅多に持てるはずもなく。

基本、身の回りを整理整頓できている人は何かについては大抵有能であることが多い。もちろん散らかっている人でも優秀である人も多いのですが、整理整頓ができている人は志というか心持ちというか、人間の機能性よりもより心に近い部分で優れている人が多い気がします。私自身も禅を通じてそういう基本的な部分を見直すようになりましたが、人間は機能やスペックだけがバランス悪く突出すると、歪んだ人が多くなるように感じます。あ、これ、ドラマで良く出てくる悪役のタイプですよね。

人として周囲との調和を保てるテリトリーを維持し、バランス良くそして慎ましく生活をする、こうありたいものです(苦笑)

平成二十七年師走朔日

不動庵 碧洲齋