不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

質素倹約を旨とすること

私は会社では結構ケチ臭いことをします。

床や工場内に落ちていたゼムクリップや輪ゴムをわざわざ拾って使ったり、A5サイズ以上の裏紙を見ると切ってメモ用紙にします。また場合によっては工場内で作業中に出た大量のビニール紐を廃棄せずに再利用したりもします。なるべく無駄をしないように心掛けています。

先日、禅の師匠が住職する寺に行ったとき、その話が出ました。

師匠はつい最近まで自動車免許を持っていませんでしたが、親の介護や通院をする為にやむなく50になって免許を取り、自動車を所有するようになりました。

今まで何気なく自転車を使っていたところでも自動車を使うようになるということについて、「恐れ」を持っていました。安易に目的のところに行けるという便利さに素直に喜べないと言うことですが、今の私にはよく理解できます。

日常生活の無駄をなるべくなくすと言うことで、この裏紙の話も出てきました。

メモ用紙として、裏紙をなるべく保管してきたが、使い切れなくなったとのこと。恐ろしいまでの物量の中で暮らしていることに驚かされていると言うことでした。

私も同じです。個人情報や機密に関係しない裏紙を全部保管しておくのは量的に少し難しいと感じます。もったいないと思いつつも量的に捌ききれずに捨ててしまうこともあります。そういうときは心の中で手を合わせるようにしています。

30年ぐらい前までは中国ではちょっとした紙の切れ端は大切にとっておき、メモ用紙にしたとか。日本でも戦後しばらくそれをしてきた人は多いと思います。

恐るべき物量に溢れかえり、それでいて金がない運がない仕事がない彼女がいないと頭を抱えている様は、例えば発展途上国の国民から見たらうらやましさを通り越して喜劇に映るかも知れません。

ご存じの方もいると思いますが、禅のある生活というのはとても質素です。質素を旨とします。たった一杯の水、コメの一粒に到るまで、それをきちんと使い尽します。本来あるべき機能や使命を全うさせてやるというのでしょうか。本筋で言えば、自然には捨てるなどと言う無駄なことはないもの。自然ほど完璧なメカニズムは存在しません。捨てるものが少ないのはエコではなく、自然に近いシステムと言えます。そういう意味で日本の社会は他の先進国よりはなかなか抜きん出ているようです。

質素は豊かになった現代社会でどのように映るのか分かりませんが、今までブログにあまり書かなかった、なかなか良いことがあります。

物事が単純明快、簡素に執り行われるので僅かな差異に気付きやすく、そこから相手に対する機微に触れることが容易になります。

坐禅会では全てがぴしっと全く同じように執り行われます。なので逆に歩き方や身のこなしがとても目に付く。常連なら歩き方、戸の開け閉めだけで、その日の老師のご機嫌が分かります。

大韓航空機爆破事件の犯人である、金賢姫北朝鮮での生活は物資が大変少なく、娯楽も少ないので、過去の記憶は日時まで驚くほど良く覚えていられる、ということを本に書いていましたがよく分かります。

先日テレビをたまたま見たのですが、一流選手というのは準備までの動きが全く同じなのだそうです。羽生選手やイチロー選手など、ポジションに着くまで、着いてからの動きがほぼ寸分たがわず同じ動きをすることで余計なことを考えず安心するとか。それによって微妙なコンディションを知るのだとか。

江戸時代とは言わず、戦前までの日本人(もしかしたら物質的に豊かになる前の先進諸国の国民みんな)もこれと同じ事をしていたのかも知れません。一流選手と同じ所作をしていて、最低限の質素な生活を心掛けていたからこそ、他人に目を向ければ、相手のいつもと違う微妙な所作を知ることがあったのかも知れません。相手の機微を知り、思いやったような気がします。

特に日本では欧米に比べると喜怒哀楽をポーカーフェイス並に隠すことが未だに褒められますが、ほんのちょっとの機微を見せるだけで済むという習慣の名残かも知れません。

衣食足りて礼節を知ると言われていますが、近年、食べ物は腹8分目とは言わず7分目ぐらいがいいのだとか。故に生活用品や利便性も7割ぐらいで我慢すれば、逆に自分を見つめ直し、身を正せるのかも知れません。

万事を控えめにして、それでも砂粒のようにこわずかにぼれ落ちてくるものの機微を知る、これあっての日本人の心、昨今で言えば「おもてなし」ではないかと思う次第。

もちろん、この考え方は武芸にも通じます。この視点で考えると礼法の細かいしきたりはなかなか合理的と思うことも多くあります。

贅沢や物質的過度に溢れかえるとみえるもの、聞こえるものも聞こえなくなります。

外側の声や内側の声に耳を澄ませるには、やはりなるべく質素であることを心掛けるようにしたいものです。

写真は会社で使っている裏紙のメモ帳(厚さ2センチぐらい)

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平成二十七年水無月十九日

不動庵 碧洲齋