不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

ジャーナリスト殺害に思うこと 1

今回、2名の日本人がイスラム国と称するテロ組織に殺害された件に付き、思うことを少し。

まずは亡くなられた湯川さんと後藤さんのご冥福を深くお祈り申し上げます。

私が初めていわゆる中東人と接触を持ったのは留学時代。

エジプト、イスラエル、シリア、レバノン、ヨルダン、サウジアラビア、クェート、イラン、イラクパキスタン、トルコ。こんな感じでしょうか。

その後も日本語教師として豪州に赴任した折も幾つかの国の人とは交流がありました。

また、当流の道場がイスラエル、トルコ、エジプトにあります。(他にもあるかも知れませんが)左記の3国に関してはフェイスブックなどで今なお交流があります。

なのでイスラム教徒、ユダヤ教徒、中東人とある程度関わったことがある私の経験に基づいて書いてみたいと思います。

やはり土地柄なのか、「戦士階級」に従属している人はそこそこ敬意を持たれます(苦笑)。なので少しばかり武芸をかじっていた私は割によく中東人たちと話すことは多かったと思いますし、留学生間では日本人とあまり相性がよくないと思われていたパキスタン人の留学生とも結構仲良くしていました。

気性が激しく、アラーを侮辱する者には死を!とかいうステレオタイプは多分、アメリカの偏向報道が主な理由のように思います。アメリカでは今なお中東に対して偏向報道が多く見られます。去年出張した折にニュースを見ましたが、やはりどうあっても敵対を煽るようなニュースが多かった。ロシアに対してもそうですね。日本の東日本大震災の時もセンセーショナルな映像を流すだけで実に内容が薄いニュースでした。しかも放射能漏れのニュースもかなりいい加減だったし。核兵器を持ちながら米国人の放射能の認識は少々お粗末すぎるレベルです。

何故アメリカにはそのように煽りが多いのか、理由は簡単で、今やアメリカが誇れる産業はほとんどが兵器産業。これだけです。武器は敵がいないと売れません。同じ理由でアメリカでは銃社会が厳然として存在しているのもそんな理由です。これでは安全な社会になれるはずもなく。他にも優れた産業があれば別なのでしょうが、今となっては花形だった自動車産業も完全斜陽です。

幸いにしてアメリカは世界的に影響力が高いために言いたいことを声高に言えばそれになびく国は多い。だから自分の国が得をするように努力をしているのであって、世界平和の為では決してない。

留学中に知り合った中東人のほぼ全員は言うまでもなく日本人とは全くものの考え方が異なる、異文化の民族ではありましたが、私的にそれほど過激だとは感じませんでした。過激な人がいなかったわけではありません。確かにニュースに出てくるような人も確かにいました。それでも言われてみると他の地域より若干多いのかどうか微妙なくらい。

初めてルームメイトになったクェート人なんかはビールは飲むし女は連れ込むし、絶対お祈りしてないし(笑)。ま、クェート人って金持ちが多いんですよね。

それを言ったら私が留学したときはバブル絶頂期、日本人だって負けないくらいスゴイのはいました。今の中国人といい勝負だった人もいたと言っておきます。だから私はあまり中国人の海外での所行をあまり強く言いたくないんです。バブル時代の日本人のアメリカでの所行もすごいものでしたよ。本当に恥ずかしかった。それを棚に上げて中国人がどうのと言う人は多分バブル時代を知らないか海外に行ったことがない人が多いんでしょうね。ま、今の中国人たちの方が若干、あり得ないレベルではありますけど。

今回の事件は宗教とは全く関係がありません。完全に政治的な事件です。本物のイスラム教徒はほとんどが日本の仏教徒と同じぐらいにおとなしく敬虔な人が多い。おとなしくなくても神の名を犯罪に用いるほど大胆な人もいない。

ただシリアにしてもイラクにしても、市民の生活は本当に酷い。国内の政権争いのとばっちりを受けるのは結局国民です。米国や豪州で知り合った中東人の中では戦火を逃れてやってきた人も多くいました。国を追われている、逃げてきたという人たちは荒んでいる人が多い。何千年も日本に住み続けていて、外国の侵略もなかった日本人には決して理解できない感情ではないかと思った次第です。

私に車を売ってくれた人は帰国する予定だったサウジアラビアの留学生で、家族で来ていました。遊びに行くとよく独特な風味のアラビアコーヒーを振る舞ってくれましたが、奥さんは顔を出しませんでした。子供たちよはよく遊びました。その友人に子供たちにもイスラム教を信じるようになって欲しいかと尋ねたら、特にそういうことでもなさそうでした。他の宗教でもいいけど、いい加減な信仰は持って欲しくないと言うことでした。

中東の人たちと言ってもエジプトやトルコは同じイスラムでも全く違いますし、紛争地域の人たちだって大半は忍従を強いられ、日々知恵と体力の限りを尽して生存している哀れな市民に過ぎません。そういう中で悪いことをしてでも生き延びようとする人がいてもこれはなかなか非難できない。中東の人たちは多分、助け合い精神は結構旺盛だと思いました。

戦火に近い所にいた人は結構多かったですね。割に多くの男性は普通に武器が扱えます。

紛争や戦争があってもたくましく生き延びられる人が多いように感じました。

このように中東のイスラム教徒とはいえ、私たちとそんなに大きく違っているわけではありません。ごくごく一部のある意味狂信的な集団がこのように暴走たにもかかわらず、運が悪いことに今まであった、もっと酷い政府よりもマシだったという状況です。ただしこれがずっと続くとも思えませんが。結局はタリバンと同じ事です。いずれは瓦解します。ただしその時にまた苦しみを背負うのは民衆でしょうね。その時までにイラクがよりましな政権であることを祈ります。そして何よりもそれが亡くなった湯川さんと後藤さんが願っていたことではないかと思います。

長くなりそうなので、一旦この辺りで区切ります。

平成二十七年如月二日

不動庵 碧洲齋