昨夜息子が以前集めていた世界の偉人カードを広げてなにやら考え込んでいたので尋ねてみると、学校の宿題で偉人をひとり紹介するのだとか。
世界の偉人カードには300-400人ぐらいの偉人のイラストと業績が書かれているので、それを写すだけではチョンボだろう(苦笑)。
選ばれた偉人は孔子、先日国語の授業で紹介された折、幾つかの格言が気に入ったようです。
紹介するに当って幾つか本人の格言も載せねばならないとかで、私の所蔵する中国諸子百家シリーズから論語を持って来て一つ選んでやりました。
幾つかの候補を見せたのですが、息子はなかなか興味を持ったようです。
寝る前によかったら読んでみればと言ったところ、本当に少し読んでいたのには驚きました。
個人的には小学生はそんなものは読まなくてもよい。
子供のうちは実体験重視で、思想書や哲学書は多感な時期、思春期などから読めばよいと思っていますが、興味を引いたのならそれはそれで読んでもいいかなとも思います。
古来より子供の時期には論語などの素読も行われていたことから考えても小学生から論語を読ませることは悪いことではないとは思います。
因みに私がちゃんと論語を読んだのは16歳ぐらいの時でした。息子に読ませた本はその時のものです。
それにしても私よりも5歳も早く論語に接するとは、私もあまりうかうかしてられない・・・と思いました(笑)。
息子によく言う論語の格言は結構多くありますが、その中の一つがこれ
「義を見てせざるは勇なきなり」
これは宮崎駿監督が言っていた譬え話しです。
電車に乗っていたら車内で怖そうな男が煙草をふかし始めました。
隣には老婆が座っていて迷惑そうにゴホゴホしています。
さて、ここであなたはどうするか。
宮崎監督が挙げたのは「優しさ」と「勇気」でしたが、この場で言えば強面の男に何か言うのは勇気だが、勇気は単独でも持てるのに比べて、本物の優しさは勇気も持たねばならないということ。隣で迷惑している老婆を本気で労りたいという優しさがある場合は、この状況下では勇気も持たねばならない。そんな話しでした。
これなどは多分、「義を見てせざるは勇なきなり」ではないかと思います。
どんな理由があろうともサバイバルをする、これは生物としての至上命令である。
が、人はそれとは別に義を全うするために命を擲たねばならない場合がある、といつも息子に言います。
そういうときは絶対に自分の命を惜しんではならない。だからその時が来るまでは何が何でも生き延びること、その状況がいつ来るのか、よく見定めること、そう言い聞かせています。
礼・義・智・仁・勇・信、何か埃を被った武士道の中核と思われがちですがさにあらず。
これは現代の日常でも必ず事の中核となっていることです。
学校の教科書などでは「みんななかよくしましょう」とか「ルールをまもりましょう」などとぼかしすぎるほどにぼかして言ってますが、核心的なことはやはりこれらの漢字に凝縮されると思います。
子供なのであまりカタい話しである必要はありませんが、さりとて重要なところをことさらぼかしたり、逃げたりすれば、子供はきっとそれを反映するものだと思っています。
思い付くままに。
平成二十七年如月二日
不動庵 碧洲齋