1989年1月7日早朝だったと思いますが、実はこの平成元年の夏に私は米国に留学したので、ある意味昭和と平成の区切りというのは私の人生でも非常に切り分けられます。
寒い朝、2階から降りるとニュースで「天皇崩御」が既に流されていました。
当時の私は実はかなりの無政府主義者でしたが、それでもこのニュースにはかなり衝撃を受けた記憶があります。
昭和時代とは1926年12月25日から1989年1月7日までを指します。見ての通り、正確には62年ちょっとですが、世界でもこれほど長い首長の在位はあまりなく、もちろん日本では125代の皇統においては最長記録です。
別の角度から言うとこの昭和時代では日本史上最大数の臣民が死んで、また世界に羽ばたくこととなりました。
長いだけでなく、日本史上、ある意味最も過酷な時代だったように思います。
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世界でEmperorという地位が存在しているのは今や日本だけです。
(1975年までエチオピアにも皇帝がいました)
日本の特殊性は日本人がどれ程気付いているか分かりませんがたくさんありますがやはり特筆すべきは、
現存している国で世界で日本より古い国がないこと。
現存している一族で皇室より古い一族がいないこと。
時の流れというのは無情なもので、必要のないものはもちろんのこと、必要があっても洗い流してしまうことが多々あります。
壮麗な文明を築いた民族ですら忘れ去られます。
強大な帝国も過ぎてしまえば泡沫の夢のようです。
巨大な墳墓が一体誰のものか分からないことは世界において珍しくありません。
そのような中で日本は初代神武天皇が戴冠して後、今に至るまで2675年も絶えることなく続いているのはやはり何かあるからだと私は信じます。
私は振り返ってみるとこの昭和天皇に対しては本当に胸が痛くなる思いがします。
即位当初から激動でした。
第1次世界大戦後と関東大震災後のダブルパンチを受けた後の即位です。
25歳でしたから、もしかしたら使命感に燃えていらっしゃったのかも知れません。
しかしその後の終戦までの20年は多分、最も憂鬱なものだったと想像します。
日本では時代劇やお話で刀を差した身分が政治を執り行うことを普通に感じていますが、ほとんどの他国ではこれはまずあってはならないレベルの異常事態です。隣中国ですら「文武百官」と言って、たとえ建前であっても文官と武官は厳密に分けられていました。欧米諸国では軍人が政治介入するなど以ての外でした。
明治維新以後、明治時代ではこれをよく解する極めて優秀な元侍の集団のお陰でこの文武を峻厳に分ける近代政治に無事切り替えて政治が行われていましたが、あいにくと昭和の世になると先祖返りの様相で若かった昭和天皇にゴリ押しするかのように軍部が介入していきました。昭和天皇ご自身がどんな場合でも平和裏に事を進めることをよしとしていらっしゃったことから、きっとこの軍部の独走は堪え難かったに違いありません。
海外ではすでに「エンペラー/皇帝」というのはもはやおとぎ話や映画にしか登場せず、大抵は民衆の敵です。近いところでは「スターウォーズ」に出てくる帝国の皇帝などがそれでしょう。
しかし日本では初代以来、今に至るまで専制君主だったことはなく、明治以降も立憲君主でした。どうしてもここが外国人には理解しがたいところのようで、欧米人にありがちなのは天皇の野望と権力を以て軍隊を駆り立て、アジア征服をもくろんでいたとか、そういう三流ハリウッド映画風の構図を期待していることです。彼らの大半は事実などどうでもよく、昭和天皇は悪者であって欲しかった、という希望的観測に過ぎません。実際、フェイスブックなどで先帝陛下や皇室の戦時中のエピソード、戦時中の日本軍の美談を英語で紹介しても「いいね!」を押す外国人はほとんどいません(苦笑)。それ以外ではまずまずの数の「いいね!」が押されるにも拘わらず!(私のFB友人400人近くのうち7割以上は外国人です)
現実には議会で決定されたことに承認するしかなく、例えば明治天皇ですら対ロシア戦争を議会が決めた折には泣きながら「勝手にしろ」と言いつつも泣く泣く署名したと言われています。もちろんそれを拒否する権力は明治憲法には明記されていますが、実際に昭和天皇が議会を無視して権力を行使したのはたったの2回、2.26事件の裁決と終戦工作だけだったそうです。ある意味何でもしたいようにできた明治時代から昭和20年まででしたが、暴走しなかったのはやはり日本が今に至るまで繁栄していることと無関係ではないでしょう。
昭和20年は言うまでもなく終戦の年です。
昭和天皇45歳、私と同じ歳です。(ちなみに今上陛下はその時11歳、私の息子と同じ歳です)Wikiには日本国民軍民合わせて200万人以上の死者が出たと書かれています。国土は焦土と化して核兵器攻撃すら受けてます。
確かにこの戦争を最終決定したのは昭和天皇ですが、それとて政治家や軍人たちが考えに考え抜き、止むに止まれず始めたこと。日清、日露と同じです。軍人や政治家のレベルは明治時代に遥かに及ばなかったのが悔やまれますが。
いずれにしても始めてしまった戦争を、ほとんど行使したことがなかった天皇の大権を使って停戦させたその時の気持ちを思うと胸が痛みます。
また、GHQ総司令官ダグラス・マッカーサーの元を訪れた折の気持ちを思うと、これまたいたたまれません。(因みに私はダグラス・マッカーサーはかなりきらいです)
それでも自国民200万人を初め、周辺諸国で発生した犠牲の償いをするつもりで出頭した昭和天皇でしたが、ここが私のような小市民の45歳と帝王学を学んだ45歳では違うなと思い知らされます。
戦争で犠牲になった人の数を想ったらその場でショック死しそうです。自分の命で何とかなるレベルではないですから。しかも相手は正論が利かぬ、絶対悪と絶対善ありきの民です。
終戦後、崩御まで戦前までの即位期間の倍する長さをどのように想い過ごされたのでしょうか。多分、歴代天皇は持ったことがないほどに重すぎる十字架を背負っていたのだと思います。
「あの戦争は正しかった」とか言うつもりはありません。どんな戦争も始めた戦争は全て悪です。腐りきった平和でも戦争よりマシです。核兵器をしかも2発喰らってしまっても、70年経てば落とした国はテロにびくびくし、世界のあらゆる国の情勢にいちいち気にかけ、自国民には十分な社会保障がないという体たらく。日本はまがりなりにも戦争をしてません。どちらが本当の勝者だったのか。負けの勝ちという言葉は多分、アメリカ人には理解できないと思います。
外交手段としての戦争がもはや割の合わない手段になってきた今、皇室外交というのはある意味伝家の宝刀のようなものです。日本の至誠を示す場合にはこれほど優れた手段はないように思います。これからますます皇室外交は重要なものになってくるのではないかと思います。
もう27年前になる昭和時代を偲んで。
平成二十七年睦月八日
不動庵 碧洲齋