不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

フランスの事件について

言論は自由であるべきですが、自由であることと何でもして良いこととは別です。

この辺り、少し難しい線引きですが、論語にヒントとなる言葉があります。

「七十にして心の欲する所に従えどもその矩を踰えず。」

今風に言えば「心の思うままに行動しても、人として道理を外れることは無くなった」

でしょうか。

やりたい放題であっても節度に収まる、礼節に欠けない範囲に収まると言うことでしょう。

実際自分もいつもその通りにできているわけではありませんが、ともあれ人はかくあるべきだと思っています。

イスラム教の風刺結構、ツッコ見所満載ですが、それはキリスト教でも同じ事。日本人からしたら「ヲイヲイ」と突っ込みたくなることしばしばです。仏教も神道も同じでしょうが、神道のように何でもありという便利な方便を、必ずしもどこの民族の宗教も持ち合わせているわけではありません。

論語はこのようにも言っています。

「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」

崇拝している対象にチャチャを入れられたら誰でも嫌な気分になります。

本来宗教というものは本人と神とのダイレクトなつながりであって、他人に迷惑をかけない限りは第三者が傍観してとやかく言うべき筋ではありません。

1日5回も礼拝するのがありならば、いずこの宗派の信者が好きなときにお参りにやってきてもよいのもありです。

イスラム教にテロが多いように感じるのはもしかしたらマスコミのせいかもしれません。

テロではありませんが、日本人からしたらたとえば隣の大国の方がよほど世界中にご迷惑をかけまくっていると思うかも知れません。

発展途上国ならよその国のテロよりも、自国の経済問題の方がよほど逼迫しているかも知れません。

テロを軽視しているわけではありません。

テロはどんな主張であれ絶対に悪です。

イスラム系テロなら、アラーは決してテロリストを許さないと思います。異教徒が言うのも何ですが。

戦争もいけませんが、軍人同士で戦争をするならまだしも、全く関係ない、対戦状態にすらない一般市民を殺害するのはよろしくない。

世界的に見て経済大国である日本が比較的テロの標的にならないのはやはり国民性だと思います。

民度が高いと言うよりも、余所の宗教にあまり口を出さないからではないでしょうか。

開国して既に1世紀半、驚くほど宗旨替えをする人は少ないですが、さりとて異教徒をひどく迫害することもなく。世界の人たちが日本人のように今少し宗教に寛容であればと思います。

もっとも昨今は怪しげな新興宗教も多く、一概には何とも言えませんが。

多くの真摯なイスラム教徒が迫害に遭ったり嫌がらせを受けないよう、私は今日も祈ります。

平成二十七年睦月十三日

不動庵 碧洲齋